ユリブロ

目指せ奇跡の50代、遅咲き男の娘ユリのブログ。略して『ユリブロ』

ユリのちょっとしつこい道徳〜固定概念という地盤の上で

はじめに

こんにちわ。

いつも読んでいただきまして誠にありがとうございます。

 

今回は“自分であって自分でない〜受け継いでいくということ”と題しまして、いろいろと小難しく綴っていこうと思っております。

 

最近、お客様からこんなお話しいただくことがございました。

それはお店で働いている中で、お客様より前任者のお話を聞くことです。私はそれを聞いて、お店のイメージというものは未だに前任者のイメージに縛られている部分があるのだなと感じたのです。

 

やはり、接客する中で

「前の人はこんなことしてたよ」とか、

「前の人はこんなことはやってくれなかったよ」などと、

いろいろ聞こうとしなくても耳に入ってしまうことがあります

 

そして例えば、

お客樣から、

「こんなにもガッツリやってくれると思わなかったよ、だって前来た時は全然やってくれなくて、サーッと終わっただけ。だからそれ以来、つまんなくなって来なかったんだ。」

そう仰ってもらって、セラピストとして非常に気に入ってもらって感激ではありますが、そうやって来なくなったお客様もこの人だけじゃないんだろう、又は私もそうした偏見の目で見られているのだなと思ったりします。

 

また、こんなこともありました。

「あれでしょ?お店にいくら入るの?えっそんなんじゃぁ少ないねぇ。前の人なんかお店通さずに直でやってたよ。直ですればいいじゃん。」

と私に直営業をお誘いになられるお客さんもいらっしゃいました。

確かに、お店に売上の半分くらいは収めなくてはならないから、自分の元手に残るのも半分くらいです。

だからといって、そんなことをすると重大な契約違反になり、即クビになってしまいます。

私は、「そんなこと怖くてできないですよ。」

と言ってちゃんとお断りしました。

お店の力なしで成功しているセラピストさんなんか見たことがありませんから、当然です。

よく個人セラピストなんて方はいらっしゃいますが、成功しているのはほんの一握り。まして、私達ニューハーフは只でさえ認知を高めることが難しいので尚更です。

この世界はそんな甘いもんじゃないのです。

 

その他、前の人にはお土産を持っていくのが通例になっていたようで、

何も持ってこなくてごめんなさいと申し訳無さそうな空気を醸し出すお客さんがいたり、

細かいことを言い出したら、切りがありません。

 

お店には沢山のイメージがついてしまっています。

 

新しく来た人達というのは、

そうしたイメージの地盤に乗っかった上で生きていかなくてはならなりません。

 

 

 

 

固定概念という自分の上で

 

そう、地盤というものがあるんです。

前の人が悪かったとしたら、逆にそれを覆した時に評価されるという良い面はありますが、

それは一時の話し。

お店として考えた時、お店が存続していく為に、

仕事をもらって生きていく為には、

良いイメージを受け継いでいかなければなりません。

一度傷ついたイメージを覆すには、相当な努力を強いることだと思います。

 

そういうことを最近仕事をする中で感じました。

 

なんでもそうだと思います。

政治家なんかでも、世襲議員なんて言われる人達がいますよね。

あの人達も、代々受け継がれてきた地盤というものがあります。

例えば、麻生太郎さんなんかも、素はお爺さんの吉田茂さんあっての麻生太郎さんです。

偉大な人の地盤を受け継ぐのも大変だと思いますが。。。

 

 

やはり、生きていく為には、

良いことであれば、しっかりと引き継いでいかなければなりませんし、

悪いことであれば、それを長年かけ覆していかなければなりません。

それをひたすらに繰り返すのだと思います。

 

同時に自分のやることが、この先続く他の人達に影響していることも事実で、それは間接的に他人に強いてしまうことでもあります。

 

しかし、自分の良いと思ったことをやるのみです。

私達は地道に地固めということを常にしていかなくてはならないのです。

 

 

人がDNAで引き継いできたように、どんな時も私達は色んなことを引き継ぎながら生きていて、自分という存在はその中の極僅か一部分に過ぎないのかもしれません。

 

考えてみると、私達は自分1人だけが生きていると思いがちですが、実は、それだけじゃないんだいうことを思います。

 

自分は自分を生きているつもりだけど、他人から見ればそうじゃないのかもしれません。

 

つまり、いろんな地盤の上に、偏見なり固定概念があって、素の自分を見てくれている人というのはいないかもしれないということです。

 

家庭環境しかり、地域環境しかり、学校しかり、職場しかり、その引き継いだ地盤がいくつもあって、その上に立っているのが自分という存在です。

 

 

たとえば、人間は年を取っていきます。

でも案外、「自分というものは子供の時から心はそんなに変わっていない」そう感じる人が多いのではないでしょうか?

そうです。

人はイメージ作られた地盤を移り変わっているだけの存在なんです。赤子の地盤から、少年の地盤に、青年の地盤に、20歳の地盤に、30歳の、40歳の、、、男の地盤もあるし、女の自分もあるし、、、こうしてずっと地盤が持つイメージの上を移り変わっているのだと私は思います。

 

赤子は赤子なりの、固定概念があります。

赤子はこうするのが当たり前だっていう、少年は少年の、大人は大人の固定概念があります。

それは決して、自分ではありませんよね?ただこれまで人類の歴史やその時の世間が決めた概念です。

 

別の言い方で言うなら、虫なら虫、馬なら馬、人なら人、子供なら子供、大人なら大人、そんな宿命を背負って生きているということ。

全く別次元の世界があるとするならば、もしかしたら子供が大人を養うことが当たり前の世界が存在しているかもしれません。

 

そして、いつも人は変わろうとしても簡単に変われないものですが、それは引き継いでいる地盤があるから、すぐに変わることが難しいのだと思います。

大人という地盤は、歴史が作っていて、大人はこうあるべきという中で、みんながそう思っているから、自分も自ずとそうであろうとして、自らを変えることが難しいのだと思います。

 

 

でもそれが、もしも間違った固定概念だとしたら皆がしんどい思いをしますよね?

 

「大人なんだから」

そういう言葉でやっぱり至る所で言われますし、縛られていると思います。本当は、もうちょっと肩の力を抜いてやることも必要だと思われる時も、なかなか世間のイメージがそうさせてくれない時があるように思います。

 

日本という国に生まれたこと自体がそうです。

これを読んでくれている人の殆どが日本人の方です。

私達は、日本という国に生まれて、日本または日本人という地盤の上に立っています。

自分が何をするにも過去の日本人がやってきたことが、常にイメージとしてつきまとっていきます。日本人には自殺者が多いですが、それも日本人というあるべき勤勉な姿に苦しめらている結果なのかもしれません。

 

自分のパーソナリティなんて極僅かしか他人に映っていません。

人が見ているものは、自分が纏っている地盤一つ一つで、自分でさえもそれに常に縛られていて、こうでなければならないと思っています。

 

昨今、そんないろんな地盤が揺らぎ始めている事件が見受けられます。

絶対安全だと言われてきた原発で事故が起き、いつ爆弾犯が現れるかもしれない世の中になって、SNSの動画テロでお店のイメージが崩されて店が潰れてしまう。

これまでの風習や固定概念からくるストレスに人々が耐えられなくなって、爆発寸前なのかもしれませんね。

そうやって段々と世界は変わっていくのかもしれません。

少しずつ自分のやれること、良いと思えることをやっていって、積み重なって地盤に大きな亀裂が入って変わっていくのだと思います。

 

 

もっと良い世の中になるように変えていかないといけないなと思う今日この頃です。

 

当たり前だと思ってることに、案外そうでもないっていう発信もしていきたいなと思っています。

 

ご清聴ありがとうございました🙇

 

社長ブログランキング