皆様、いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。
今回もちょっとしつこい道徳観を述べていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします🙇
ふと思ったことなんですが、皆さん人に借金を頼まれたことありますでしょうか?長く生きていれば何度か遭遇することだと思います。もしかしたら、やむなく人に借金を頼んだ人もいるかもしれませんし、嫌々だけど頼まれた人もいることでしょう。
私も人生40年以上生きてまいりましたので、色々ございました。私は人に借金を頼んだことはありませんが、人から借金を頼まれたことは何度かこざいます。
たまに色々と過去の嫌な思い出が頭によぎることがあります。そんな思い出と申しますか小さなトラウマとでもいいましょうか、そういう事を思い出して考えていましたら、人から借金を頼まれることと愚痴や文句を言われることというのは、同じような感覚ではないかなと思ったんです。
人にお金を貸してくれと頼まれたことも、さんざん愚痴を言われたことも、これまでの人生で何度かある中で、これが実は同じ感覚であり、またその相手も似たような心象のような気がするのです。そうやって重ねてみると、ある意味愚痴や文句を言われた時に、とても整理がつくと申しましょうか、これなら軽く受け流すことができるなという風に自分の中で容易く処理ができるのであります。ならばその感覚的なものが同じなのだから、きっと理屈も同じだろうと思い、少し考えてみたいということで今回記事にさせていただきました。
それは、どんな感覚であるかというと、まず人から借金を頼まれた時というのは相手が絶対にお金を返してくれないであろう時を前提としたとき、そんな時、皆さんは、どんな気持ちになりますでしょうか?
私はとても心が締め付けられて、落胆の気持ちが込み上げてくると同時に、物凄く厄介なことに出くわした時の血の気がサーッと引いていくような感覚がします。あくまで、絶対に返さないであろう相手にあたってしまったときですが。
一度こんなことがありました。
私が20代の頃、相手は5つか6つほどの年上、私がまだ大学を卒業して間もなく世間に出たばかりの若造の頃のことです。借金を頼んできたその年上の相手には家族がいて、子供もいて、奥さんもいました。そして、私は独身で結婚もしていなければ彼女もいませんでした。こんな状況で、相手はとても言いにくそうにはしていましたが、その時だけは子猫が泣くかのようにとても甘えた感じで、「〇〇ちゃん、ちょっと〇〇千円貸してくれない?」ちょっとした子供のもの買わなきゃいけないらしく、どうしてもと言ってこられました。最初はそんな感じで、たまに3、5000円など少額をねだってくるという感じてした。しかし、それが何度か続いていくと段々と額が増えいきました。最終的に、消費者金融で私に対してカードを作ってくれと頼んできました。自分はブラックリストに載ってしまっているからそう言うのです。返済は自分でするからということでした。職場で人望のあった人で、若くてコンプレックスのあった馬鹿な私は、相手が家族を食べさせていかなければならないからという言葉に負けてしまって、やむ無くカード作って貸してしまいました。その時のこと今でも覚えていますが、相手の方は私が貸したお金で私に食事を御馳走してくれました。そんな矛盾した馬鹿なことはしないでもいいのにもかかわらずそうしたのは、とても見えっ張りな人だったからです。それから、よくよくその人のことが分かってくると、どうやらパチンコや競馬などのギャンブルをしているらしいことが分かってきて、家族にお金を使っているのではないらしいことが分かってきました。私は信用できないということが自分の中でようやくハッキリして、すぐに貸したカードを返してもらい、その人とはすぐに縁を切って自分でその100万近い消費者金融のローンを返済しました。
職場でのその人が人望があるように見られていたのとは逆に、頼りない存在と見られていた私はその現実とのギャップに、とても悔しく悲しい思いをしたことを今でも覚えています。その時の私は、周りの空気に流されて、自分をあまりにも卑下しすぎていました。おそらくそんなコンプレックスの隙を見て近寄ってこられたのではないでしょうか。
まあ、そういうこともございました。
人からお金を借りたことの無い私にとっては、”なんで自分に言ってくるんだよ”と、この人は”なんでこうして簡単に人にお金を借りるなんて言えるんだろう”と思いました。ましてや、お金を決して返さないにもかかわらず。私であれば、必死に働いて一刻も早くお金を返さなければならないと思うのに。私は出世払いのできる居酒屋のオヤジやスナックのママのように、それができるほど金銭的に余裕があって包懐が深いわけではありません。居酒屋のオヤジやスナックのママが快く貸してくれているわけではないですが。。どちらも『私の店を潰すつもりか』と内心思っていることでしょう。
そこで話を愚痴や文句のことについて戻したいと思いますが、愚痴や文句を言う人、こちらはストレートに心に響く分まだマシなのかもしれませんが、何やら自分に対して凄く嫌な気持ちがあって、きっと影では歯ぎしりを立てているのではないかと思い浮かんできます。その言われた時の感覚を”なんでお金のない私に返すことのない金を借りに来るんだ”っていう感覚と根本的に同じだと捉えようといことです。
何故同じなのか。
愚痴というのは相手に対する不満であり、不満というのは言い換えれば要求です。相手のことを自分よりも下だと思っていて舐めているから軽々しく愚痴を言うことができる。愚痴を言った相手のことなど構やしません。返すことのない借金というのも、自分のことを舐めているのは同じです。たとえ返さなくてもどうにかなるし、最悪相手がどうなっても構わないと思っているからこそやること。結局、愚痴や文句を言う人も、自分に返すことのない借金を頼む人も、根本的には自分を軽く見ていて、相手が自分のことを思い通りにしようとする行為という点で同じだといえると思います。
だから、
『愚痴は借金するのと同じことであり、借金は愚痴を言うこととおなじだ』
といえると、私は思います。
じゃあどうすればいいのかということですが、それは単純明快です。自分が嫌だと思ったら相手にしなくてよいということ。単純に相手にないことだと思います。結局は、愚痴を言う相手とも借金を頼まれた相手とも上手くいくことはないと思います。相手が借金をするに値する人間かどうか、または愚痴を言うのに値する人間かどうかは、その後の相手が証明することですが、自分よりも立場の弱い人にお金を借りたり、愚痴を言って成功した人間を私は聞いたことがないです。現在成功している有名人が若い時に苦労をしてお金を借りたりしてお世話になったという話を聞くのも、それは立場が上の人がその人の努力を暗に認めていてのことです。
お金は人に借りないほうがいいし、愚痴も言わないほうがいい。
そこまで出世するのは、ひたむきに努力している人だけだから。