ユリブロ

目指せ奇跡の50代、遅咲き男の娘ユリのブログ。略して『ユリブロ』

 

ユリのちょっとしつこい道徳〜中途半端にやるならやらない方がいい

はじめに

皆様、いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。

今回は、「やるかやらないかの基準」を明確にしようというテーマで、お話ししていきたいと思います。

人間やるかやらないか、悩んでしまうことがありますよね?

例えば、あの人にバレンタインデーのプレゼントあげようか、あげずにいようか、または、あの人に年賀状を出そうか、出すまいか?、飲み会に参加しようか、しないでおこうか、そんなにお腹空いてないけど、食べようか、食べないでおこうか、など様々なケースがございます。

結論から申しまして、私は、何事も中途半端にやるなら、やらない方がいいと考えました。

なぜなら、そうやってどうでもいいラインの物事に当たる時には、人間はとても適当になるからです。言い換えると、適当になるということは、雑になるともいえます。

さらに、雑にやることは、逆に相手にとって失礼なことになりかねないし、自分に対しても、雑に何かをすると、良い結果は返って来ないからです。

つまり、物事、自他ともに粗雑にならないようにすべきであるということが究極的にやるからやらないかの基準になると考えます。

 

 

プレゼントは相手を本当思ってやらないとダメ

例えば、相手に靴を買ってあげようとします。しかし、靴や服というのはとても難しい品物です。夫婦や彼氏や彼女、親兄弟であれば、何となくサイズ感や好みも分かるものすが、それでもなかなかピッタリ合わせるのは難しいものです。もし、赤の他人が適当に買ってプレゼントしてしまうと、失敗する確率が高いですよね。

プレゼントされた以上は、ある期間は必ず身につけないといけませんし、それが仮に微妙に合わない靴だったとしたら、靴擦れを起こしてしまいます。そういうことがあるので、特に身につける物に関しては、本当に相手のことを考えてプレゼントしなければなりません。

そしてその時、プレゼントというものが相手が自分のことを、どれだけ考えてくれているのかを推し量る物差しにもなってしまうことも頭に入れておかねばなりません。

相手が本当に自分のことを考えてくれたのだ感動する時もあるし、逆にあなたの為に私が買ってきてあげたんだという、押し付けがましいメッセージになる可能性もあります。

後者は裏を返せば、『何故そこまで、あなたの事など考える必要があるのか?』という風に受け取られかねません。親しい間柄で、プレゼントし合った結果、それが別れの原因になることだってあるでしょう。相手にプレゼントをするなら、本当に相手のことを考えてあげられる時に、した方が良いのではないかと思います。

 

 

バレンタイデーの義理チョコは相手を傷つける可能性も

バレンタインデーのチョコレートなど、毎年盛んにイベントが行われますよね?私はああしたイベントがあまり得意ではありません。本気で好きになった相手にチョコレートを選んであげるなら良いかなと思いますが、多くは形骸化していて、反射的に何も考えずやっているだけのことが多いように思います。。

その中で問題なのは、義理チョコというものです。

義理チョコとは、それほど懇意にはしていない相手だけど、何か渡さないと気まずいから渡すもののこと。

しかし、現状は面倒くさいことの連鎖になっているだけかもしれません。相手はお返しをしなきゃいけませんし、もしも、相手が自分のことを好きでいてくれたとしたら、それは相手に対して、言い寄られてもいないのにNOを突きつけることと同じになってしまいます。

それによって傷ついている男性も中にはいるかもしれないのです。

毎年こうしたバレンタイデー、クリスマス、誕生日パーティー、新年会、忘年会などの様々に恒例化しているイベントによって、景気が良くなり、雰囲気は盛り上がります。しかし、反面、面倒くささや、落胆や、寂しさを生んでいるとも言えるでしょう。

 

 

仕事も適当にやると逆効果になる

お仕事の営業などで譬えると分かりやすいかなと思います。

営業とは、自社の商品を売り込みに、各所に出掛たり、電話をして掛け合ったりしていくわけですが、その営業が適当で雑なほど、それに比例して、商品価値は下がって行きます。

小売業などで、商品を店頭に並べるのもそうです。ビシッと綺麗に飾り立てをして、ちゃんと置けば、どんな商品であっても魅力的に映るものですが、逆にどんな高価な物でも、その辺に捨てるように置かれていたならば、道行く人にはゴミ同然に映ってしまいます。

仕事で成功していない自分が言うのもなんですが、自分の失敗から考えると、仕事で成功するためには、その商品を自分が一番好きになることが、最も大事なことだと思います。

 

 

金魚のフンは一生金魚のフンである

私はどちらかと言うと、幼少期から自分のやりたいことをあまり表に出さず、周りに気を遣うような子供でした。そんな幼い頃、大人しく余り活発でない私を心配した両親は、いつも兄に付いていくように私を促していました。私はどこへ行くにも兄に付いて行っては、『〇〇はお兄ちゃんの金魚のフンだな』と言って笑われていました。

生きていくということを学ぶ為には、必要なこともあったの事実です。しかし、根本的なところで、他の誰かが喜ぶことや、その場を良い感じすることが私の根本的な目的になってしまっていたことは、後々、私の生き方になり、それが足枷にもなっていったように思います。

私は、自分を押し殺して、他人が好むようなことをすることが、生きていく為に大切なことなのだと、長い間ずっと勘違いをして生きてきました。何かを選択する時に、私は私のやりたい事や、好きな事ではなく、まず相手がどう思うかや、その場が上手くいくことを軸に取捨選択をしてきてしまったのです。

就職活動などもそうした考えの下やっていたように思います。

そうした考えでは、まず躓いてしまうことがあります。それは、始めから上手くいくことなどあり得ない、何も出来なくて始めから自分が望まれることなどないのに、他人がどう思うか、他人が望むことに応えることを軸に考えてしまっているからです。それでは物事はスムーズに進みません。

仕事というものにぶち当たると、そういう考えでは通用しないことを身を持って知ることになりました。

やりたい事がない私は、就職活動がとても苦手で、いつも焦って追い込まれて、逆に自分にとってどうでも良くても、環境面や待遇面、または、自分が得意か不得意かを基準にして、仕事を選んでいました。

しかし、どんな仕事も肝心の気持ちが中途半端では上手くいかないものです。そこに集まる人も、何かしら目的があって、そこで働いていますが、その中で成功している人は、そもそもやる気が違います。

適当な選択をして一生懸命頑張ったところで、それはやる気のある人からすれば、当たり前のことなのです。

 

 

いつも、そんな中途半端な心でいた私は、たとえ仕事が上手く行ったとしても、そこは自分の本当の居場所ではない感覚が拭い去れず、心はいつも不幸せでした。どんなに頑張っても埋まらないそのギャップは、私を段々と疲弊させていき、転職を繰り返させることになってしまっていました。

結局は、自分のやりたい事を見つけなければ、その仕事を全うすることは難しいですし、その中で成功することも難しいと思います。自分に気持ちが無ければ、その仕事について勉強してレベルアップしていくことも単なる苦痛でしかありませんし、人間関係も煩わしくなって発展していきません。それはそれでいいと、開き直って生きていくなら別ですが、人生で成功したいのなら、自分のやりたい事を見つけることが必要不可欠なことだと思います。

自分と向き合って、やりたいことや好きなことを見つけることが、結局は自分にとっても他人にとっても幸せなことなのだと思います。

これから就職活動をして社会に新たに出ていく若者には、単純に好きなことをして欲しいということと、もしも、どうでもいいと思っている会社に就職しまったなら、その仕事の何かを好きになることが大切だということを言いたいと思います。

 

 

下げマンにはならないで

人間、どうしても打算が働いてしまいます。

先日、私のお客様で50代を過ぎても、なかなか結婚の出来ない方のお話をお伺いしました。その方は、中小企業の社長さんで、金銭面でも余裕があるし、女性と出会いも事欠かきません。しかし、その社長さんは、スペックばかり気にしている女性にもう、うんざりしたご様子で、私に愚痴を話してこられました。

女性はどうしても将来を考えて、まず相手の収入や将来性を見ますし、相手が結婚を考えてくれているのかをとても気にするものです。その社長さんは、それがしんどくなってしまうのだとお話されていました。そして、結局、自分の気にいるようないい容姿をしていても、性格的に打算ばかりで問題があったり、性格は良くても全くタイプではないというジレンマに陥ってしまっていて、お疲れのご様子なのでした。

 

 

ここで考えなければならない重要なことは、相手を好きかどうかということに尽きるでしょう。もしも、相手のことが好きでもないのに、ただ相手のスペックが気に入って、結婚してしまうとどうでしょうか?

それだけでは決して上手くいかないのは容易く想像できます。

相手のことが好きでなければ、たとえ一生懸命やっていたとしても、好きな相手にすることの何倍も苦痛ですし、好きな相手にすることよりも何倍も質が劣っていくでしょう。それが相手への愚痴を生み、相手からの不満をも生み出して、不幸せにしていく可能性すらあります。そうなると、単なる下げマンになってしまうのです。

お金のある男性はそこのところを良く見極めなければなりませんし、そこに近寄って行く女性も、相手のスペックばかり気にしないで、自分が果たして相手を愛して幸せにできるかどうかを考えなければなりません。厳しい世の中を生きていくには、スペックは必要ですが、大事なのはやはり、相手を好きかどうかなのだと思います。

その人を愛していなければ、全てが中途半端になってしまうのだと思います。

 

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