ユリブロ

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ユリのちょっとしつこい道徳〜人への怒り方

はじめに

皆様いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。

ユリブロを運営しております、女装子のゆりです。

今回は久々に『ユリのちょっとしつこい道徳シリーズ』をやっていこうかと思います。

今回のテーマは「怒り方」についてです。

 

人への怒り方には2つの形が存在すると考えられます。

1つは、人前で怒るということ。

2つは、一対一で怒るということ。

この2つです。

同じ「怒る」行為であっても、本質は大きく違います。

2つの方法の違いを理解していなければ、伝わるものも伝わりません。

今日はそんな「怒る」ことについて、書いていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします🙇

 

 

人前で怒るという行為

まずは「人前で怒る行為」について考えてみたいと思います。

私は、人前で怒る行為をするのもされるのも好きではありません。

だって人前で怒られるのって嫌ですもの。

恥もかくし、みっともない思いをしてしまいます。

私は人前で怒る行為というのは、単に怒る側のパフォーマンスに過ぎないと考えています。

そうじゃありませんか?

人前で怒る人って、人を見て怒っているケースや、怒ってもよさそうな人に限りやっているようなイメージさえあります。

つまり「人前で怒る行為」は、怒る対象の人に対してでは無く、その周りの人に対するパフォーマンスなのだと思います。

 

 

では何を周りの人に訴えているのかというと、次の二点が考えられます。

①自分の威厳、自分は強い人間なんだということ。

②対象の人間を貶めること。

この2点が主な理由であって、怒っている内容を相手へ真摯に伝えることというのは、1%にも満たないのではないかと思います。

人前で怒るという行為の目的は詰まる所、他人を貶めて自分がのし上がることに目的の本質があるのではないかと私は考えています。

また、私も社会に出て怒られる経験を何度もしてきましたが、その殆どが人前でのことです。これまで一対一で怒られたことなどありません。

そう考えますと、社会では往々にしてこれが多く用いられているということは、たとえ理路整然とした怒りであったとしても、内面はドロドロで、誰かを蹴落として踏み台にして生きていく弱肉強食の世界であることを感じざるを得ません。

 

例えば、テレビやラジオ、YouTubeなどで誰かに対して怒ることなど、これは全て自分が生き残って行く為にしているパフォーマンスだという分かりやすい例でしょう。

怒る対象に何かを伝えようとしているわけではなく、単に自分の主張であるとか、注目を集める為の手法です。

最近では、YouTubeでよく炎上商法などと言われて、この方法が用いられていますが、全ては自分に注目を集める為のアピールでありパフォーマンスなので、見ている方は冷静に見守る必要があると思います。

 

他にも、デモや集会、国会の質疑など、人前で怒っている場面をよく見かけますが、これも単なるパフォーマンスと自己アピールです。

本当に誰かに何かを伝えたければ、一対一で相手の目を見て伝える以外に相手の心には届かないと私は思います。

特にYouTubeなどのパフォーマンス動画を見て育った今の子供達には、SNSで相手をこき下ろすことが常識にならないよう、人前に晒すことや怒ることの本質について教えていかなければならないと思います。

 

 

会社の中で部下を大勢の社員の前で叱責する上司もまた、同じくパフォーマンスであると考えられます。

人前で叱責する上司って最アクですよね?

もしそういう経験があって、トラウマになって悩んでいる人がいるとしたら、そう悩まなくてもいいと私は言いたいです。

何故なら「相手はあなたのことはそれほど真剣に考えていない」からです。全て自分の地位や組織での威厳、また自分の仕事を守るためのパフォーマンスに過ぎません。

学校などで先生が生徒を叱る時も、先生といえどもそれほど生徒のことを考えているわけではないと思います。

先生だって人間です。

先生としての威厳を保つために怒っているし、組織の規律を保つためにしていることです。授業中に悪さをする不良を更生させる為に先生が存在するのではなく、自分の授業を滞りなく行う為に存在していると言えるでしょう。

真面目な生徒は放っておいてもやるのだから、教育というものは落ちこぼれた生徒に対して行われるものが本当ではないかと思います。

今はなんだって、ノルマを達成する為に事が行われいて、その為に「人前で怒るという行為」が存在しているのではないでしょうか?

 

 

一対一で怒るという行為

相手に自分の考えを伝え受け入れてもらう為には、一対一で怒ることが大切だと私は考えます。

人前で怒られることと、一対一で怒られることというのは全くちがいますよね?

明らかに一対一の方が相手の誠意が伝わってきます。

本当に相手に何かを伝えたい時に、伝える側に二人以上いると虚栄心が邪魔をしてしまいます。自分もそうですし、怒る相手にも虚栄心がありますので、二人以上居てしまうと、それが邪魔して相手も聞き入れづらくなってしまいます。

しかし、一対一で怒られることって無いものです。

母親が子供に対して怒るというのはありますが、大人になってから一対一で怒られる経験というのは誰しも少ないのではないでしょうか?

そして、大抵人は一対一になると、怒る方も怒られる方も、意外にどちらも大人しくなってしまうものです。

怒るという行為が、自分の虚栄心や威厳、プライドを誇示するためのものという側面があるので、いざ一対一になってしまうと、そもそも怒るモチベーションが無くなってしまって、興冷めしてしまうからでしょう。

怒る為には、それ相応の焚付役が必要なのだと考えられます。多くの事が、それだけ怒るに値しないことなのかもしれません。

やはり相手を怒る場合、たとえ親であっても両親揃って、又は兄弟の前で、その子ども一人に対して怒ることはストレートに想いが伝わりにくいものです。

大切なことであればあるほど、一対一で相手の目を見て伝える勇気が必要ではないでしょうか?

 

 

人類というゲームは誰かの虚栄心を叶えるためのもの

人類というゲームがもしあるとするならば、それはどういったゴールが設定されているでしょうか?

版ゲームに「人生ゲーム」というものがありますよね。

あの人生ゲームは、人生で成功してお金持ちになる事が目的のゲームです。

人類というものをゲームに喩えるなら、多くの人が人生ゲームのような感覚なのではないでしょうか?

この人類というゲームでは、成功して自分の虚栄心を満たすことが目的であって、他人が不幸であろうが関係ないような気がします。

皆、自分が幸せになりたいから、必死にパフォーマンスをしていて、自分が如何に他人よりも優れていて、誰よりも利益を得る資格があるのかということを証明しながら生きているのです。

 

 

怒りは理屈ではなく、その衝動です。

戦争というものを考えてみれば良いでしょう。

戦争なんて不利益なものを何故やるのか全く意味不明ですが、それがパフォーマンスの行き着く先だと捉えると説明がつきます。

始めは二人や三人で起きていたことが、罵り合いのパフォーマンスに発展して、それが段々と過激さを増し、人を人とも思わない酷い叱責や、暴言、そして暴力にエスカレートして、果ては残虐な行為をもさせてしまうのだと思います。

それは、見ている人に対するパフォーマンスだから出来ることであって、相手の目を見て出来ることではありません。

人前で怒るという行為も、ある意味その人にこの上ない屈辱を与えて、思い知らせるということですので、極論は戦争と同じ理屈ではないかと考えられます。

先生や生徒、上司や部下、親と子供のように、力関係で成り立っているだけであって、もしそのパワーバランスが崩れてしまえば、不良グループ同士の喧嘩や、組織の派閥抗争、或いはヤクザの抗争のような形に発展するのだと考えられます。

 

 

最近ではよく、相手のマウントを取る取られるという言い方が用いられます。つまりは、如何に常日頃パフォーマンスの立ち振舞い方や自分の立ち位置を考えさせられて、少しでも他人よりも上手であろうとする心の表れです。

テレビやYouTubeなど、周りにはそうしたものが溢れているので、私達はどこか頭の片隅に、そういうパフォーマンスに対しての免疫力を持っておいた方が良いかもしれません。

要は自分のメンタルをしっかり保って、嘘か真か様々なパフォーマンスに振り回されないように心掛けていくことが大事だと思います。

 

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