ユリブロ

目指せ奇跡の50代、遅咲き男の娘ユリのブログ。略して『ユリブロ』

不登校とは何かを考える〜私の不登校経験を振り返って

 

 

皆様いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。

今日は不登校について考えていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

まずこちらのグラフを見ていただきましょう。⬇

文部科学省資料:「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」より(令和6年3月26日)

 

こちらは文部科学省が調べた、令和4年度までの小中学校における長期欠席者数の推移です。

こちらを見てみますと、年々に不登校の数が増えていっております。不登校の数だけでも見ても、驚くべきことに令和4年時点で30万人近くの数にものぼっていることが分かります。これは、インターネットが発達したことや、またフリースクールなど教育の多様化などが影響して、学校に行かない生徒が増えてきているようです。

私の子供の頃などは、学校に行かなければそこで人生が終わってしまうというような切羽詰まった感覚でしたし、実際に選択肢も限られていて、学校以外で教育を受けることは難しい時代でした。

だからといって、学校というものの役割が希薄になっているわけではなく、今でも学校というものは、本質的には大人になり社会で適応して生きていく上においては、とても大事で無くてはならない施設であると私は思います。

 

 

私の不登校経験

私はそれほど長期間の不登校は経験がありませんが、厳密に言えば高校を卒業するまでに、3度の不登校の経験がございます。今日はそれを少し皆さんにお話したいと思います。

保育園時の不登校

まず1度目の不登校は保育園の時です。記憶が定かではありませんが、親が共働きであった為、たしか4歳か5歳くらいから保育園に通っていたと思います。この時期に1回目の不登校時期と、保育園からの脱走が1度ありました。

不登校になったのは、単に朝母親と離れ離れになるのが嫌だったからだと記憶しています。

毎朝、母親は私の機嫌を取ろうとして保育園に行く前に必ずドッチボールでキャッチボールをしてくれていました。私はとてもそれが嬉しくて嬉しくてたまらなく、母親とずっと一緒に居たかったのでしょう。そのキャッチボールが終わってしまうと保育園に行かなくてはなりません。玄関を出る頃には、私は泣きじゃくって保育園へ行くのを嫌がりました。そうして泣きじゃくっている私の頬を母親はたまらずビンタをしては、私を必死の思いで保育園に行かせようとしていました。

何度かそういう日が続いていたある日のこと、堪りかねた母親は、その日は打って変わって穏やかな顔をして、その日は保育園に行かずに2人で出掛けようと言ってきました。

私と母親は、2人で自転車に乗り出掛けることになりました。途中、何処かの駄菓子屋に寄ったのを記憶しています。私は母親にアイスクリームを買ってもらいました。子供だった私は、楽しい遠足に行くかのような気持ちでいました。

しかし、その遠足の最終地点が何処であるかハッキリとは覚えていませんが、電車の線路が何本もあるような場所だったと思います。

母親は私を手放して「じゃあね」と去っていこうとしました。私は驚き、全身から血の気が引いていきました。そして、とても悲しくなって、母親に駆け寄って泣きじゃくったのを覚えています。母親も保育園に行くように私を諭しながら、一緒に泣いて抱き合いました。それからというもの、私は不満を言わず保育園に行くようになりました。

その後、1度だけ保育園にいて仲間外れにされたと勘違いをして脱走したことがあります。その時も、私は何も理由を話さず我慢して保育園に行っていました。

今思い返して考えてみると、両親が共働きであったことなどもあり、状況的に子供ながらに社会の波に呑まれ始めた最初だったのかなと思います。なんだかんだ、子供も親を通して社会の風に呑まれて、寂しさや苦しさを乗り越えていかなければならないのだろうと思います。

なにはともあれ、私は第1次不登校を母親の叱咤激励で乗り切ることができたのです。

 

 

小学校時代の不登校

小学校の時も、1度だけ不登校になったことがあります。期間的に1ヶ月も無かったとおもいますが、よく覚えています。

私は小学校1年生の時に肺炎を罹って、1ヶ月程入院することになりました。入院生活といっても熱が下がってしまってからは、楽園のように楽しかったことを何となく覚えています。

同じ病室の女の子と仲良くなったり、見舞いに来てくれる祖父母に、父母、そして兄、皆が優しく私に接してくれて、私はその入院生活が一生続けばいいのにとさえ思っていました。

しかし、そんな私にとっての楽しい生活はあっと言う間に終わってしまいます。1ヶ月も経たない内に、さあ、明日から学校に行かなくてはならないということになります。その時に、不登校が発症してしまったのです。

学校に行く朝になると、私は駄々をこねたり、体調不良を訴えたりして、学校には決して行きたがりませんでした。はじめの方は、まだ体調が思わしくないということで引き伸ばしていたように思います。

たしかその頃は、母親に関しては働いておらず、家で私と一緒に居てくれたものと覚えています。

元気のない私に母親も困っていました。困った母親は、担任の先生に相談をしたのでしょう。先生が家まで様子を見に来てくれたのです。そんなこんなで、先生が色々とお話してくれたのでしょう。私の友達が家に来てくれ、勇気づけてくれたことを覚えています。私はそれから少し気分を良くして学校に行けるようになりました。

一度学校に行って、波に乗ってしまえば、意外と続くものです。私の受動的な不登校の時代はここで終わり、元気よく小学校や中学校を卒業することが出来ました。

 

 

3度目の不登校〜高校にて

3度目の不登校は高校生の時に訪れました。この頃になるとそれまでの不登校のように親を困らせるといった感じではなく、もっぱら私は1人で抱え込んでしまうという感じでした。

高校2年生の春、人間関係を心機一転してのぞむその春に、やけに張り切っていました。私は人気者になろうとして、いつも何かに挑戦するように、滑ろうが何をしようが、思い切って面白いことをしたり、発言したりと、積極的になろうと頑張っていました。しかし、そんな空回りばかりの私の燃料もいつしか切れ切れになっていき、段々と力尽きていきました。

周りの生徒は、空回りしていく私を笑いものにして、私は段々と1人孤独になっていきました。自分でどうしてそのような状況に陥ってしまっているのかさえ分からなかった私は、精神的に参ってしまい、いつしか私は学校に行く気力がなくなってしまっていました。

そして、誰にも相談できずにいた私は、家を出る素振りを見せては、自分で学校に休むと電話をして、公園で1人で過ごすようになりました。

そんな事を何度かしている内に、少しは気分転換できたのでしょう。いつの間にか学校に行けるようになっていました。それ以来、私は何かある度に、自分で行かないことを選ぶようになっていました。

それがいいのか悪いのかは別として、私はある意味自立をしたのです。自分で行くか行かないかを決めて行動することの気持ちよさを、その時くらいから知り始めたのかもしれません。

 

不登校は人生の問題

私は不登校になりそうな時期を乗り越える時、確かに大変苦しい思いをしましたが、今振り返ってみると、それはあくまで一時の問題であったと思います。

そういう時期を上手く乗り越えることができれば、苦しい時期というのは何時しか過ぎ去ってしまいます。そして、別の目標なりルーティンなりが出てくるものです。

私が高校生の時など、高校2年までの2年間は、確かに自分を騙しながら休み休みやっていましたが、高校3年生になって、大学受験という新しい目標が出来た途端に、気持ちがそれに向かっていき、学校に行くことが嫌だといことも自然と考えなくなっていました。

毎日一生懸命勉強をして、大学に行きたいという気持ちが私を引っぱってくれていました。

そんな風に、不登校というものは、一時の苦しさを乗り越えてしまえさえすれば、案外すんなりと行くものだと思います。逆に乗り越えられずにズルズルと行ってしまうと段々と不安は大きくなるばかりで、心は苦しくなっていくものだと思います。

不登校というのは、単に学校に行くか行かないかという問題ではなく、自分に問題が起きた時にどう対処していくかということが問われているだと思います。問題が起きた時に解決する力を付けるために起こる出来事であり、それはまさに人生における宿題なのです。

私が小さな子どもの頃には、周りの親や先生が問題に対して、色々悩んでアプローチしてくれたお陰で問題を乗り越えられました。そして、高校生くらいになると、自分で問題を解決していくようになっていきました。大人になってからも、様々な問題が起きてきます。しかしその都度、七転八倒しながら、心に傷を負いながら、段々と自分で解決できるようになってくるものです。

不登校というものは、人生における様々な問題の中の1つに過ぎません。それと同時に、それを乗り越えなければ、幾つもあるであろう先の関門には進むことのできない、最初の関門だともいえます。とにかくがむしゃらに悩んで見つけた道に進めばよいのではないかと思います。

 

 

人生が多様化した今、様々な正解がある

私の子どもの頃は、インターネットも無かったし、フリースクールというものもあまり聞いたことはありませんでした。ですから、学校というものに如何にして行けるようになるかということだけが正解だったように思います。

しかし、今は違います。インターネットで勉強をして、資格を取ったり、大学に行ったり、専門学校に行ったり、色々と出来ますし、仕事の幅も増えて、ライターだったり、動画制作であったり、WEBデザイナーだったり、YouTuberであったり、インターネットを使って人と人が顔を合わせなくても成立する仕事が沢山出てきました。

ならば、寧ろ早い時期から引きこもって、そういった仕事へ向かって勉強することの方が、人生において有利に働くケースも出てくるとさえ思えるほどです。現代は、学校に行くことが必ずしも正解ではない時代になっているのは確かだと思います。

勿論、まだまだ基本的に学校にちゃんと行けた方が、より社会での選択肢が増えて、生きやすくなるのは確かです。社会では必ず人と人とが交わりながら進んでいくものですから、基本的に学校の役割というものは、未だ健在だと思います。

しかし、子供が引きこもりになってしまって、親子が喧嘩ばかりして、どうしようもない時があるとしたら、思い切って家で勉強する道を選ぶことも出来る、そんな時代ではないかとも思います。早く頭を切り替えて、何かしらした方が良いかもしれません。

 

今不登校、若しくは引きこもっている人へメッセージ

最後に今、不登校で悩んている子供達や親御さんへメッセージを送りたいと思います。

あなたが今、なぜ立ち止まっているのか私には分からないけれど、冷静になってください。諦めないで、どうにか解決する道を探してください。

周りの家族などと上手くいっていなくて、それどころではないかもしれませんが、必ず解決する道があります。

相談できる人がいなければ、ネットで探してそういう人を探してください。世の中には自分に合う友達や恋人が必ずいます。

どうしても嫌なら人と合わずに出来る仕事だってあります。

人生は捨てたものじゃありません。だから、決して諦めないで、いろんな可能性を探して頑張ってください。

 

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