ユリブロ

女装でマッサージセラピストゆりの人生苦節40年、血と汗と涙のブログ。美容を中心とした考える女装子の雑記ブログ。

ユリのちょっとしつこい道徳~嘘をつくことが何故いけないことなのかを考える


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皆様、いつもご覧いただきまして誠にありがとうございます。

 

今日は『嘘をつくことが何故いけないことなのか』と題しまして、ユリなりに語っていきたいと思います。

 

では、皆さん嘘をつく時ってどんな時につくでしょうか?

私は嘘をつく時とはほぼこういう時であろうと考えます。

“自分がその場を何事もなくやり過ごすために嘘をつくのである”

嘘をつく時は、反射神経的に嘘をついてしまうもの。それは多くが自分を守るために病む無くそうしているのではないでしょうか?

しかし、ここで注目したいのが、嘘をつく時というのは、基本的に「自分が」ということであります。自分のことしか考えられおらず、相手のことが見過ごされてしまっているという事実です。

皆さん、大なり小なり嘘をつくと思いますが、嘘をつくことが何故いけないのかを考えるに、その時にあまり意識しないであろう、相手のことがとても重要になってくると考えられるのです。

 

“嘘つきは泥棒の始まり”

“嘘をつくと舌を抜かれる”

 

などと、諺などでも言われますように、嘘をつくことがいけないことだと言われているのですが、誰もが分かってはいても、あまりその重大さに気がついていないのが現状たと思います。

 

この大事さは、嘘をつかれないと分からない。

嘘をつかれた時に初めて分かる。

嘘をついて自分は如何に悪いことをしていたのかということを。

 

嘘をつくとどういう事になっていくのかということを、これから少し述べていきたいと思います。

 

 

 

 

嘘は泥棒の始まり

 

相手が嘘をついていることが分かると、嘘をつかれている人はとても不安になりますよね。

たとえば、恋人がいました。

その恋人は他に好きな人ができました。

そして、相手は貴方を傷つけまいと嘘をついています。

そんな状況に置かれてしまったときに、あなたはどう思うでしょうか?

だんだん相手の気持ちが離れていっていることに気がついて、だんだんストレスが溜まってきます。そして、心の中では何故?が大きくなっていき不安な妄想が膨らんでいきます。自分がもしそういう状況に置かれてしまったなら、どうでしょうか?

 

本当は、早く言ってもらえばいいんだろうけど、なかなか本当のことは言いずらくて言ってくれません。嘘をつき始められた時点から不安な気持ちが膨れ上がり、心には言い表せない寂しさが込み上げてきます。もうそうなれば、恋の病に侵されてしまっていますよね。それが始まった時点で、おかしくなってると思って冷静になったほうが良い。もう病んしまっている状態なのだと言えるでしょう。

 

しかし、相手はそんなにあなたを苦しめたとは思っているでしょうか?

いや逆に相手を傷つけまいと頑張ったと思っているでしょう。

でも本当は頑張っちゃいけないと思うんです。

 

私は、おそらく精神的な病の多くが、こういった嘘をつかれる環境にいることで、不安な妄想が膨らんでいき病気になってしまうと考えられると思っています。さきほど例えに出したのは恋人でしたが、職場でも、家族でも、親子でも兄弟でも同じことがいえると思います。

だから、嘘をついている人は相手の為に、嘘はついてはいけないのです。

 

とはいっても嘘をついている人は、何も嘘をつこうと思ってついてるわけではなく、自分を守るために自然と嘘をついているから、そういう意味では自分を守るための正義なのですが、やはり、そこは立ち止まって相手のことや先のことを考えて、どんなに馬鹿にされようが、罵られようが嘘をつかない方が良いと考えられます。

 

つまり、嘘をつくと、少しでも相手の心を奪い悩ましてしまうがゆえに、

“嘘は泥棒の始まり”というように悪く見られてしまう。

そして、嘘をつくこで、

“嘘をつくと舌を抜かれる”という諺もあるように、人から恨まれて罰が当たることに繋がってしまうのだということです。

 

だから、遅かれ早かれ嘘をつかなくてはならない関係性の中にいるのであれば、それはできれば早く本当のことを言ってやめたほうが良いでしょう。職場でどうしても嫌な仕事をさせられていたり、耐えられないほど人間関係に悩んでいたり、他にやりたいことがあったり、家族や恋人に思っていても言えないことがもしあるならば、早く伝えて次の道へ進んだ方が自分の為にも相手の為にも良いでしょう。

 

それほど嘘をつくということは思いの外、罪が大きいと私は考えます。

 

 

嘘は方便とは

 

嘘は方便という諺もあるじゃないかと云われる人もいると思いますが、この嘘とは、一体どういう時に使うものであるのかということを整理しておきましょう。

仏教からきた諺で、仏が弟子に教えるために敢えて嘘を持って仮の教をしたというところから始まっているということです。

この事を考えるに、具体的にどういう時に使うかというと。

たとえば、子供が夜ふかしして全然寝ないことに親御さんは大変悩まされていた、そんな時、困った親御さんが、「早く寝ないと山姥が出てきてあの世に連れて行かれるぞ」という嘘をついたと、それから子供が早く寝るようになった。主にそういうような使われ方をすることが、“嘘も方便”というわけですね。

 

他にも、

“嘘からでた実”

“嘘八百”

などいろいろありますが、基本的に嘘というのは人間をある種翻弄させるものであって、あまり良くないことが自分に降りかかるので、使わない方が良いです。

 

とにかく、嘘はいけないと思います。

こういうことは学校とかでちゃんと教えないといけないような気がします。嘘をつく、つかれる、ことが減るだけでも人生は豊かになると思いますし、嘘をつく大人、嘘をつく政治家が居なくなれば世の中も随分変わるんじゃないでしょうか?

 

嘘をつかない、そんな人生でありたいものです。

せめて、

大嘘かくとも小嘘はかくな

の精神で。