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バベルの塔の崩壊に見るダウンタウン松本人志さんと吉本興業〜もう一度飛ぶための闘いが始まる

 

いつもどこかで見るたびに人類の儚さというかなんというか、人間が挑戦していく姿の凄さを感じることもありますし、また逆に俯瞰で見る時のそのちっぽけさも感じますし、ある意味この絵の中に全てが含まれているような凄味をいつも感じます。

 

皆様、いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。今日は『バベルの塔の崩壊に見るダウンタウン松本人志さんと吉本興業』と題しまして、つらつらと語っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

私はユダヤ教でもなければキリスト教でもなくて、実は仏教徒なのですけれども、こういう壮大な価値観を模した絵が大好きです。現代にこのぐらいの高さのある建物はあれど、これほど幅と奥行のある大きな建物は存在しませんよね。そういう意味でいつ見ても素直に凄い大きいなぁ、こういう建物があれば見てみたいなと思うところでごいます。

 

バベルの塔は旧約聖書に書かれているお話しで、人間が神様に近づこうとしてとても大きな建物を建設しようとしたことがあって、その様を見ていた神様が人間の傲慢さを戒めるために打ち壊してしまったというお話しです。

 

 

 

以下Wikipediaから引用させていただきますね。⬇

バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。そこで語られるのは下記のような記述である。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。

 

『全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[注釈 1]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。』

— 「創世記」11章1-9節[4]

 

偽典の「ヨベル書」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた。しかし人々は、これら新技術を用いて天まで届く塔をつくり、シェム[注釈 2]を高く上げ、人間が各地に散るのを免れようと考えた。神は降臨してこの塔を見「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」と言った。このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。

 

『第三十三ヨベルの第二年週の第一年にペレグは妻を迎えたが、その名はロムナと言い、シナルの娘であった。彼女はその年週の第四年に彼に男児を産み、彼はその名をリウと呼んだ。彼は言ったものである。「見よ、人の子らはシナルの地に自分たちの都市と塔を建てようというそのふとどきなはかりごとのゆえに邪悪になった。」彼らはアララテの地を去って東のほうシナルへ移った。彼の時代に彼らは「これをつたって天にのぼろう』と言って塔のある都市を建てた。こうして彼らは建築にかかった。四年週目に火でれんがを焼き、れんがが石(の代用)となり、塗り固めるための漆喰は海とシナルの地の水の泉から産するアスファルトであった。彼らはそれ(都市)を建てた。四三年間かかって建てた。その間口はれんがが二〇三個ならび、れんがの高さはひとつの三分の一あり、その高さは五四三三キュビトと手のひら二つと一三スタディアに達した。われわれの神、主はわれわれに言われた。「見よ、ひとつの民。彼らがいったんことをおこしたからには彼らに不可能ということは(ひとつとして)ない。さて、おりて行って彼らの言語をかき乱し、たがいに話が通じないようにしてやるか。また各地の都市や民族の間に散らばらせてさばきの日まで意図の一致をみることのないようにしてやろう。」そこで主はおりられたが、われわれも、人の子らが建てた都市と塔を見るためにいっしょにおりて行った。彼が彼らの言語をなにもかもかき乱されたので、彼らは互いに話が通じなくなり、都市と塔の建築を中止した。このゆえに、神がここで人の子らのすべての言語をかき乱されたところから、シナルの全土はバベルと名づけられた。またそこから彼らはおのおのその言語、民族にしたがって彼らのすべての都市に分散していった。主はその塔に向けて大風を送って、これを地面に転覆せしめられた。見よ、その塔はシナルの地、アッシリアとバビロンの中間にあった。人々はその名を崩壊と呼んだ。』

— ヨベル書10章18-26節[5]

バベルの塔‐聖書の記述「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より引用、引用時最終更新日時2023年7月4日

 

これを読んでいきますと、神様が人々の言語をかき乱してしまったと、そして互いにコミュニケーションのとれなくなった人々は、バベルの塔の建設を止めてバラバラに散っていったということでございます。

 

 

このお話しなのですが、タイトルにもしました通り、今ちょうど松本人志さんの問題が世間では取り沙汰されておりますが、その騒動によって吉本興業自体が生き残っていくことさえも問われるような現状になっていることを見た時に、このバベルの塔の崩壊と重なるところがあるように私には思えてなりません。

 

ダウンタウンがこれまで築き上げてきたものは、単なるお笑いコンビという枠組みを超えています。その仲間や後輩、さらには会社までをも従えて成り上がってきた存在です。騒動が起きる以前にはトップであるダウンタウン松本人志さんはお笑いの枠を超えて、ある意味、日本の世論に影響を与えるほどの発言力や、テレビ界をも牛耳る権力を誇っていました。それについてくる形で吉本興業の力もテレビの中で拡大し沢山の吉本の芸人さん達が出ていました。さらには大阪維新の会とも親密な関係を築いて、万博事業にも関わり、政治的にも力を持ち始めていた時期でありました。

 

もしも、騒動が無く松本さん・吉本興業共にそのままの道を進んでいたとしたら、さらに相当な規模の権力組織へと成長したいた可能性もあるでしょう。その最中に起きた週刊文春の報道は、とても偶然に起きたとは私はどうしても思えません。もしも私が日本の権力の中枢にいたとしたら、このままではいけないと思うかもしれません。ダウンタウンのお笑いや、吉本興業の芸人さん達は面白くて素晴らしいけれど、メディア界を席巻してしまうほど大きくなるのはいかがかなと、お笑い好きな私でさえそう思います。

 

だから、吉本興業も松本人志さんもお笑いも、そう好きでもない人であるならば、これ以上権力を持ってしまう前に潰してしおこう、或いは弱体化させておこうと思うし、そういう流れが世の中に生まれてもおかしくはないと思います。

 

そこに起きた松本人志さんの性加害告発報道、プラスマイナス岩橋さんの浜田雅功さんと親しい制作協力会社社長からのパワハラ報道、少し前には元吉本興業オリエンタルラジオ中田敦彦さんの松本人志さんへの批判など、それらダウンタウンや吉本興業をよく思わない人達がさらにどんど出てきて、SNSでそのことはさらに拡散して私達一般人やジャーナリストや有名人などを巻き込んで、ダウンタウン松本人志さん、吉本興業を今やその権力の座から引きずり下ろして崩壊させようとしています。

まさに、バベルの塔の崩壊の様子と酷似していると言えるのではないでしょうか。

ここまで色んな人の批判が出てしまっては、もしも裁判で有利な判決が出たしても、その後、以前と同じように政治的な力を持つようなポジションには戻れないと私は思います。

バベルの塔崩壊後、人々はバラバラに散って暮らすことなりましたが、ダウンタウンという大きな道しるべを失うことで、それまで皆がそれに付いて行って一つの方向へ向かっていたいたわけですが、それも事実上無くなってしまうでしょう。そうなれば今後はバラバラにそれぞれが良いと思った道へ進むしかない。また、若い人達がダウンタウンを会うことを夢見て吉本興業に入っていくという構造も既に崩れてしまっているかもしれません。

 

これまで吉本興業が大きな力をつけてテレビやYouTubeに沢山の吉本の芸人さんが出ていたのは確かで、それがバベルの塔の神様のようなある種の琴線に触れてしまい、行ってはいけないところまで行ってしまっていたのかもしれないなと思います。日本を動かしている権力というのはそう簡単には、それを手放してはくれないんだなと今回の件で私は思いました。それは、決して陰謀論ではなくて、誰がやってるとかそういうことではなくて、ある一定のレベルまで来ると、社会の中で本当にこの人達が世の中に影響を与えていいものかと、議論される対象に上がってしまうのかと感じました。

松本さんや吉本興業は潰れることはなくても、少なくとも吉本興業は一昔前のお笑いだけをやっていた頃の企業に戻らざるえないのかなと思いますし、松本さんは松本さんで、以前であれば笑いをとることなんていうのは彼には取るに取らないことであったのが、今の松本さんにとっては笑いをとることすら大変なことなのではないでしょうか。それは自由自在に空を飛んでいた鳥の羽を引き裂かれたも同然です。これから始まる裁判やその他、松本さんの闘い一挙手一投足は、もう一度”空を飛ぶため”の闘いだと思います。

これからどういう風な道にいかれるのか最後まで見守っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

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