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桐島聡と思われる男性死亡を受けて考える

1月25日、神奈川県鎌倉市の病院に偽名で入院していた桐島聡と思われる男性が警視庁により確保されたとのことで、男性は警視庁の調べによりますと、桐島聡しか知り得ない話をしていたため、おそらく指名手配犯の桐島聡本人である可能性が高いとのことです。

 

しかし、男性は1月29日未明に胃癌でお亡くなりになられたとのことです。70歳でした。今後、詳しくDNA鑑定がなされまして桐島聡さんかどうか確認される模様です。

 

桐島聡なる人物、私はよく空港などで働いていた経験からポスターで顔写真をよく見ていた覚えがあります。この機会に桐島聡さんが過去にどんな事件に関与していたのかを少し調べてみました。

 

 

私が生まれる前の1970年代に事件を起こして、49年もの長い間、逃亡生活を送っていたそうですね。

 

1974年〜1975年に起きた連続企業爆破事件に関与したとされます。

新左翼の過激派・東アジア反日武装戦線

という、平和な時代に生まれた私にとっては同じ国に起きた出来事とは思えない名称の組織ですね。

 

グループに薬剤師の方がいて、その人を中心に手製の爆弾を作っては、企業のビルや工場、工事現場などを爆破させて多数の死傷者を出したとのこと。手製の爆弾というと最近でも岸田総理が危うく巻き込まれそうになった事件や安部元首相がお亡くなりになられた事件など、最近でも記憶に新しいですね。

 

彼らは当時、昭和天皇を殺害する計画をしていたといいますから、今では考えられないようなテロ集団が日本に存在していたことを想像することが出来ます。

 

その思想はなんなのか?、何を目指してそうしているのか?私の小さな頭で考えるに、

新左翼の過激派とは共産主義社会を目指して、アメリカを中心とする民主主義社会が理想とする社会に不満をもっていて、その権威に対して暴力で革命を起こそうというもの。ここで少し、日本の新左翼の歴史を振り返って勉強してみたいと思います。

1951年に、朝鮮戦争が始まります。当時のソ連の指導者・スターリンは日本共産党へ「暴力でもって蜂起し、米軍基地のある日本を撹乱しろ」という命令を出します。そして、日本共産党は武力闘争方針を掲げるのです。しかしその後、各地で起こった共産党が関わった事件によって、翌年の衆議院選挙にて全員が落選してしまいました。それから、日本共産党は暴力革命を否定するようになりました。しかし、武力闘争を信奉していた人達は不満を募らせて離脱します。そうして出来たのが、桐島聡などが属した組織へと繋がっていく路線となる新左翼と言われる組織です。1958年には、不満を持った学生党員達が「ブント」を結成して、1960年代の安保闘争にて実力行使に出て世間から喝采を浴びたりもしました。連日数十万人ものデモが国会を取り囲みましたが、結局、安保条約は成立したため、ブントに結集した党員達はそれぞれ分かれていきました。1963年には、実力行使を柱とする中核派・革労協、権力謀略論を掲げ他党派の切り崩しが自派の勢力を拡大するという思想を掲げる革マル派に分かれました。しかし、この頃から革マル派を中心にで「内ゲバ」と呼ばれる集団リンチ事件などが起こり問題となり始めます。1970年、日米安保条約は10年後の自動更新を終え、学園闘争は政府側が勝利する結果になり、ブントはさらに分裂します。最左翼の赤軍派を筆頭にいくつかの派に分かれていきました。1972年に、中核派・革労協、革マル派では100名を超える内ゲバによる死者をだし、赤軍派の流れをくむ連行赤軍は山岳ベース事件などを起こして、信頼を失った日本の学生運動は衰退していきました。しかし、ここで一部の過激派グループが地下に潜り、東アジア反日武装戦線を結成しました。ここで桐島聡が属したとされる組織が誕生し、沢山のテロ事件を起こしていくというわけですね。そして、そうした事件を度々起こしていく事によって次第に新左翼の信頼は無くなっていき、衰退していき今に至るのですね。なるほど。

参照日本の新左翼 - Wikipedia

最終更新日:令和6年3月19日

 

 

 

先ほども申しました通り、こういう過激派が暗躍した時代の直後、1970年代後半に私は生まれました。私が生まれた当時の日本における共産主義の運動は下火になっていましたから、私には全くそうした共産主義に対する免疫のような意識はありません。しかし、知らないからこそ、知らない内にそうした思想に巻き込まれてしまいかねませんよね。自分の人生の愚痴や不満の隙間にそうした過激な思想・信念は入り込むのではないかと思いますので、改めて気をつけなければなと気をつけたいと思います。

 

 

やはり貧しくはありますが、なんとか何不自由なく生活できている中で、私も社会に不満がないといえば嘘になります。多少、愚痴を言ったりしますし、YouTubeなどを見ていて、反政府的な意見に対し時には同調したりもします。先ほども申しましたが、そうした何気ないところから過激な何かが生まれるとしたら、私達はこうした事件の前例を振り返ってみて考えなければならないと思います。時には暴力的な言葉を使った先導が行われる時は常に頭に描いておかなければなりません。

 

綺麗事でいえば、貧困を無くそう、給料を上げよう、生きていく中でもちろんそう思うし、そんな甘い言葉に流されそうになってしまいます。しかし、少し考えなければなりません。給料が上がったからとか、貧しい人達に手厚い給付がつくとか、それだけで世の中の仕組みはそう単純に上手くことはないのではないかと。何故なら、良くなった人がいれば反面苦しくなる人だっているのですから。

 

いつだって誰かが誰かを支えているから、自分の事だけ考えるのではないバランス感覚が求められるのではないかと思います。

 

一喜一憂しないで、冷静になって考えていかなければ、1970年代に起きた事件の二の舞いになりかねません。いつしか、現政権への不満は広がりを見せて、その一部の人達から暴力や過激な行動による革命を叫ぶグループが出るかもしれません。いつも冷静に世の中を見ていたいものです。

 

教訓として、

ステップアップした社会を目指していきたいものです。

 

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