ユリブロ

目指せ奇跡の50代、遅咲き男の娘ユリのブログ。略して『ユリブロ』

松本人志さんと当時19歳の女性、2人の衝突から見える人間像

皆様いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。

今、世間では松本人志さんの性加害疑惑報道の件が話題で持ちきりですが、私の今思うことを書いていきたいと思います。

 

この件が起きてから、毎日のようにXやYouTubeで松本さんのことを目にして、毎日のように考えています。それだけ私もテレビに映る松本人志さんに、影響を受けていた一人なのだということ改めて感じました。

 

 

私の中のダウンタウン

私は関西出身なので、ダウンタウンが関西ローカル番組『4時ですよ〜だ』で頭角を現し始めた頃から見ていました。ダウンタウンが東京に出て、成り上がっていくのを見ながら、私も一緒に子供から大人へと歳を重ねてきました。

 

私の中のダウンタウンは、ただいつも見ているテレビの中の面白くて個性的なタレントさんであるというだけで、そんな当たり前に存在していて、真剣に松本さんがどんな人なのか、普段はどんな性格なのかとか、深く考えてきたことはありませんでした。

しかし、今回の騒動により、少し立ち止まって、改めて、ダウンタウン松本人志という一人の人間の人となりを考えるようになりました。

 

8年前や20年前の飲み会での、女性への性加害疑惑又は、性加害未遂があったとされる記事や、周りの人の見解などの中で、私が読み取れる松本人志という人物像について、感じたことをお話したいと思います。

 

 

松本人志という人間

私が受ける松本さんの印象は、とても仕事に対して真面目で、人間関係にはちょっと不器用だという印象です。松本さんご自身も、映画に起用されてきたキャストの方や、テレビ番組での話す好みの対象などを見ていますと、人気があって華があるよりも、コツコツと努力をするような真面目な人を好まれているような気がします。

ある映画の記者会見で、「才能のある人が認められないのは辛い」と涙ながらに仰っていたのが思い出されます。

そんな自分と重なるような、仕事に真面目で頑張ってる人達が、人間関係や世間の風潮などで、不遇な目にあっていることに対して訴えかけていた側面からも、その強い拘りが伺えると思います。

 

 

松本さんはどちらかと言うと、いわゆる世間一般の、あまり物事を深く考えずにいる大衆に迎合している人達とは正反対に、自分なりに物事を深く考え、何事にも真摯に向き合ってきたタイプではないかと思います。

それは悪く言えば、時に神経質で、独り善がりでもあり、良く言えば、常に自分の中で生きるか死ぬかの真剣勝負をするように、物事に向き合って生きてこられたとも言えるでしょう。

 

放送室というラジオで、こんなお話をされていたのを思い出しました。

ダウンタウンDXに出演した若手芸人(陣内智則さんのことだったと思います)に対して、

「ダウンタウンの番組に、よく丸腰でこられるなと、普通は前もっていろいろ話のネタを考えて、ああ来たらこれでいこうとか、こう来たらああしようとか、いろいろ考える。今の若いもんは、度胸があるというか何というか。俺の時代やったらそんなことは絶対できない。」

そんな風に仰っていたのを思い出します。

こういうことに凄く腹を立てられるエピソードを考えますと、松本さんが、いかに真面目にお笑いに向き合っているのかが分かります。

 

 

当時19歳のタレントの告発

文春の第4 砲には、当時19歳のタレントの方が、松本さんが参加する芸人さん主催のパーティーに呼ばれ、周りの芸人さんから煽られ松本さんと二人きりにされ、危うく性加害を受けそうになったと、そして、それを断ると人格否定されるような罵詈雑言を浴びせられたとの記述がありました。

いつもテレビの中で松本さんを中心とする芸人さん達をテレビで見てきた私達には、これも何となく、その場のノリや、両者の状況やイメージが勝手に浮かんできてしまいます。

 

19歳程の若い女の子というのは、多くの人が欲しがるばかりになってしまって、自分のこと以外の様々なことは何も考えていないのが普通です。

中には、芸能界で生きていく為に、ただ可愛いだけじゃだめだと、己の立ち回り方を考えて、嫌なことをしても大御所の人とお付き合いをして、勉強することが大事なんだと考える昭和な人もいると思いますが、多くがそうではないでしょう。

女の子はただ呼ばれて何もわからず参加して、持て囃されては、愛想笑いを浮かべながら、初めて参加するパーティーに居るだけで必死だったのではないでしょうか?19歳の子供ならそんなものだと思います。

 

 

何もその女の子だけでなく、殆どの人が軽い考えで、テレビの中のイメージのままの芸能界というキラキラ映る世界へ飛び込んで、そういう場にも足を踏み入れてしまうと思います。

尚更、お笑いという仕事は、人を楽しませることしか表に出ていないわけですから、その苦労など若い女の子が知る由もないわけで、当時イケイケの松本さんとは、かなりのギャップがあったのではないでしょうか?

 

そうなると状況的に、お互いが通じ合うとは考えにくいです。

19歳の女の子が気難しい叔父さんに怒らるのは想像できるし、それは当然といえば当然なのかなと思います。そこにフォローして、歯止めをかけてくれる大人がいなければ、そうなって当然でしょう。

 

 

若い女の子とそれを怒る人の存在

私も昔、20代半ば頃に、ロックバンドをしていまして、メンバーに若い20歳前後の女の子2人と活動した経験があります。

その女の子達は、世間や音楽のことなんて殆ど知らず、自分の世界が全てであって、バンドとはファッション感覚のような感じでした。でも若さゆえ、バンドを自分達の思うようにしたくて、何もできないけれど、譲れない自分の世界をもっていました。

 

その世界を実現するには、並大抵でない努力に立ち向かう謙虚さが必要だからと、当時少しは大人をかじっていた私は、そういう潔癖さを彼女達に求めてしまっていました。今思えば大人気ないのは自分の方なのですが、当時はその子達の事が、とても苦手に感じていました。

 

 

そんな私が経験した状況から重ねてみると、そんな普通の女の子が、お笑いの頂点を目指す気概にぶつかった時の、余りにもかけ離れた両者の価値観の違いからすれば、女の子が罵詈雑言を浴びせられる様子は、想像出来なくはないなと思います。

 

もしかしたら、厳しい世の中で生きていく為には、もしかしたら19歳の女の子にとっては、良薬口に苦しが如くに、生きる大変さを知るには良かったのかもしれません。

しかし、それがトラウマになってしまって、客観的な事実として飲み込めなかったのであれば、それは松本さんがするのではなくて、直ぐに記憶から遠ざかってくれるアルバイト先の上司や通りすがりの大人のように、テレビに映らない人が相応しかったのではないでしょうか?

 

この問題は2人にとって、人生を生きて成長していく中で、誰もが一度は経験して、乗り越えてくるような嫌な思い出の1つだと思います。

 

 

裁判などで解決して、どちらが正しいか正しくないのか、明確になることが問題ではなくて、いつかお互いがその事実を笑って話せるくらいに、客観的に当時の自分に起きた事実・状況を、いかに受け入れていくかということではないかと思います。

 

もし裁判になるなら、裁判官が良い仲介をして、お互いの気持ちが落ち着いて、和解の方向へ導いてくれて、其々がまた歩き出せるようになることを祈りたいと思います。

 

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