夏の花火大会
真夏の夕暮れ時、人混みが大の苦手な幸子の手を引いて吉彦は土手を歩く。
ドテラから見下ろせば、河川敷には前も後ろも右も左も先の方まで人で埋め尽くされていた。
河川敷で開かれる夏の花火大会。
予約席までの道のりは、夏の蒸し暑さと人のむさ苦しさが相まって、恐ろしさを感じるほどの熱気であった。
この日の為に、二人はお揃いで浴衣を新調した。
幸子は白地に濃い藍色の花柄模様の、吉彦は紺一色の浴衣を着ていた。
熱気に心も体も全て奪われそうになりながらも、夏の浴衣に心は踊って何故か苦しさを感じない。
二人は人混みの中を何も言わずに歩いた。
老若男女がぞろぞろと蠢くなかで、やっとの事で予約席まで辿り着く。
時間が経つにつれ、人傘が増えて、河川敷から土手に登る坂にまで人が溢れかえっていた。
特設ブースでは、男女が河内音頭を汗ダクになりながら歌っている。
太鼓の音と、女性の甲高い歌声がよく響いていた。
暗くなるにつれて人々が手に持つ携帯電話の光がキラキラと目に映った。
ヒュ〜〜ドン!
最初の花火の打ち上がると同時に、ワーっと歓声が上がった。
10000発にも及ぶ花火が次から次へと打ち上げられていく。
その圧倒的な迫力の光景と、腹の底まで響く音が人々を魅了した。
「なあ、自己満足じゃないな。」
吉彦はざわめきの中、幸子の耳元でそう言った。
「そうよ。違うでしょ。」
花火が打ち上がって暫くして、二人が初めて交わした会話だった。
少し前に二人は大喧嘩をした。
吉彦は何かにつけて「全部自己満足だ」と言っていた。
ある時、「なによ!あなた全部自己満足ってどういうことよ!そんな悲しいこと言わないでほしい!それならあなたが満足するようにしたらいいじゃないの!」
そう幸子が金切り声をあげるように言った。
花火大会の日まで二人はろくに口も利いていなかった。
吉彦は新調した浴衣を見つめて、ただ頭の中で思い出しては鬱蒼とする日々を送っていた。
幸子は逆に思っていたことを言えて、さっぱりした様子だった。
言葉が上手く出ずにいた吉彦に、
「明日何時に行こうか?」
幸子から声を掛けた。
この日の花火大会が、大喧嘩をした二人の仲直りのキッカケを与えてくれたのだった。
幸子は吉彦の手を取り、夜宙に打ち上がる花火を見上げている。
吉彦は幸子の横顔を見て一安心して、また同じように夜宙を見上げた。
吉彦には花火の一つ一つが打ち上がって消えていく度に、不思議と誰かの想いが舞い上がっては消えていくように感じられた。
それと同時に隣にいる幸子の想いが何度も舞い上がっては、パッと光っては消えていくようにも感じられた。
吉彦の心はずっとそこに立ち止まったまま、それを見ているだけだった。
ずっとずっと幸子がそうしているのを見ていたかった。
幸子の手を握りしめて、そっと肩を抱き寄せた。
また花火が夜宙に舞い上がって、するすると高く登って花開く。
幾つもが打ち上げられては、満点の夜宙に消えていった。