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ユリブロを運営しております、女装子のゆりです。
パリオリンピックが始まりましたが、早いものでもう終盤に差し掛かっています。
4年に一度行われるオリンピックという大会で、選手の皆さんは勝つために日々励んでおられて、その勝負に立ち向かう意気込みと一生懸命な姿は歳を取るごとに心打たれます。
今回はいつもよりも柔道に注目して見ていました。
YouTubeなどでドンマイ川端さんや、ウルフアロンをお見かけして以来、とても柔道に対して親近感が湧いていだからかもしれません。
そんな今回のオリンピックで最も印象に残ったのは、阿部詩さんの敗戦後の号泣していた姿と、混合団体戦の激戦、そしてその後の涙が印象的でした。
どちらも最後負けてしまった闘いでしたが、色々と自分の人生と照らし合わせて考えさせられました。
負けるということは、誰もが嫌なことですよね。
しかし今回のオリンピックを見ていて、負けることも大事なことだなと改めて感じさせられました。
人生もある意味、弱肉強食、勝負の世界です。
良い給料をもらって良い暮らしをする為には、社会の競争に打ち勝たなくてはなりません。
しかし、大勢の人が、その競争で勝つことはできません。
私も受験戦争に始まり、就職、会社での競争など、ずっと闘ってきたように思います。
でもどちらかとうと私はずっと負け続きでした。
しかし、それによって得たものがあります。
それは、他人への配慮や人生の敗者への配慮、弱者への優しさ、相手の事を親身になって考えられる“慈悲の心“とでもいいましょうか。
これはおそらく負けた経験がなければ、生まれない気持ちだと思います。
話しは少し飛びますが、私の両親のことを少しお話ししたいと思います。
私の両親は結構、この人生の勝負事に一喜一憂する方です。
父親などはオリンピックで負けた選手にテレビの前で「情けない」など、少し心無い言葉を発したりしています。
そして生活においても、頑張って働いていたら凄く配慮をしてくれるけど、逆に仕事に敗れて疲れて立ち止まってしまった時には配慮をしてくれません。
冬場にお風呂に入るのが少し遅いと、わざとお風呂のスイッチを切ったり、疲れて寝ていたい日に朝、早く出かけろとばかりにカーテンを開け暖房を切ったり、人生で結果が出ている時と、出ていない時の態度の差がハッキリとしています。
そんな時私は、
「少し心を充電したいだけなのに、何故そんなことするの?」
といつもそう思っていました。
しかし、それも人生で勝つことに拘りが強いからこそ、焦ってやってしまうことなのでしょう。
私の両親は心底挫折を経験せずに来てしまった、つまり、人生で大きく負けてこなかったのかもしれません。
戦後、日本が成長していく中で、また年功序列という仕組みにも守られながら多くの人が社会の流れに享受できていた時代がありました。今の世代のそれとは別の苦労が勿論ありますが、不況下で実力社会が色濃く世に出はじめた私達の世代とは、心がすれ違うのも当然といえば当然なのかもしれません。
だから、仕方ないのかなというところです。
人生で色々な挫折や負けを経験することはとっても大事なことです。
勝ってばかりいると、周りの人の体たらくばかりがどうしても目に入って、どうしようもなく気に入らなくなってキツく当たってしまうのです。
突き詰めて考えれば、勝ち負けというものは、生きることと死ぬことと同じことのように思います。
死ぬ時にジダバタするのかしないかは、如何に沢山の負けを経験して、その結果を受け入れられて来たかによるでしょう。
人間は誰の区別なく必ず死にますから、それをいかに受け入れられるのかが人生の課題でもあります。
そう考えると、オリンピックの勝負事も、人生の勝負事も勝ってばかりいては、到達できない境地があるように思えてきます。
勝っても負けても変わらない大切なものとはなんでしょうか?
テレビのインタビューで昔、柔道の谷本歩実さんが仰っていました。
オリンピックに向かう中で、コーチの古賀稔彦さんから、
「勝つ覚悟と、負ける覚悟が出来たら俺の所に来い」
と言われたそうです。
その時の谷本さんには、古賀さんの言葉の真意が理解できませんでした。そして、谷本さんは素直に古賀さんにそう話したそうです。
すると古賀さんは、懇切丁寧に谷本さんに自分の経験談を交えながらお話ししてくれたのだとか。
谷本さんは古賀さんのお話しによって、その覚悟を持つことができ、オリンピックという大きな目標に立ち向かって、金メダルという結果まで勝ち得ることが出来ました。
その勝利の要因には、紛れもなく古賀稔彦さんの勝っても負けても伝えたかった大切なものの存在があったからだろうと思います。
また歌手の尾崎豊さんの歌詞にもそうした勝ち負けを超えた何かを感じ取ることが出来ます。
尾崎さんの歌「僕が僕であるために」の中で、
〜僕が僕である為に、勝ち続けなきゃならない〜
〜正しいものがなんなのか、それがこの胸に分かるまで〜
と歌われています。
つまり、正しいことが分かるまでは、勝負に一喜一憂していなくてはならず、それを超えた境地には達しえないのだと言われている気がします。
この歌をレコーディングしたのが当時まだ彼が高校生だったことを考えますと、尾崎豊さんの達していた境地には驚きを隠せません。
今回のオリンピックの阿部詩さんや柔道団体の皆さんの活躍や涙を通して、日頃目先の利益や勝つことばかりに目が眩んで、あくせく頑張っていた自分を少し冷静に見直すことが出来ました。
他人の姿を鏡として、自分を再確認するとはこのような瞬間なのかもしれません。
同時に、これからも失敗を恐れずに、負けを恐れずに、何かに挑戦し続けて頑張っていこうとも思えました。
勝っても負けても、覚悟を持ってやって一つ一つ夢に向かっていきたいと思います。