ユリブロ

女装子ゆりのブログ

 

 

小説『通天小町殺人事件』③

 

 

新世界の拒絶

 

​ 「すんまへん、刑事さん。うちは客のプライバシーが売りなんですわ」

​ 通天小町のロビーに、従業員の冷ややかな声が響く。工藤が現場周辺での再度の聞き込みを試みるも、返ってくるのは判で押したような拒絶の言葉ばかりだった。事件が起きた302号室の凄惨な光景とは裏腹に、建物の外側には鉄壁の沈黙が張り巡らされている。

​ 工藤と立花は、一旦建物の外へ出た。新世界の冬の風が、現場の熱を奪っていく。

「……工藤さん、周辺の店舗でも同じです」

 立花が眉をひそめて戻ってきた。

「昨日まで世間話をしていた人たちまで、事件が『通天小町』の中だと知った途端、急に目が泳ぎ始める。警察を避けているというより、何か……触れてはいけないものに蓋をしようとしているような」

​「それがこの街の『聖域』の守り方なんやろ」

 工藤は、かつてパトロールで馴染んだはずの路地を見渡した。

 この街では、誰もが何らかの過去を抱えて流れ着く。本名を明かさず、素性を問わず、互いに深入りしないことが暗黙の了解となっている。通天小町はその最たる象徴であり、そこで起きた悲劇さえも、住人たちにとっては「外側」の秩序である警察に渡したくない秘密なのだ。

​「被害者の竹内は名古屋の強請り屋だった。街の奴らも、彼がロクでもない目的でここへ来たことは察してたんやろう。だからこそ、逃げた女を庇う空気になっとる」

 工藤は、竹内が持っていた有松のメモを思い出した。あの男が持ち込んだ「毒」が、新世界の静かな調和を乱そうとした。街はその毒を、レイナという逃亡者ごと飲み込んで隠してしまった。

​「鑑識の報告では、竹内の後頭部の傷は一度の転倒によるものだそうです。殺意があったというより、激しい口論の末の事故……。でも、それも真実が分からなければ、ただの闇の中です」

 立花の言葉に、工藤は深く頷いた。

​ 正義を貫くための「刑事の手」が、この街の霧を掴めずに空を切り続けている。

「立花、このままじゃ拉致があかんわ。署に戻って、一課の連中とは別の動きをするぞ」

​ 工藤は、通天閣の足元で静かに決意を固めた。

 街の住人が警察を拒むなら、自分たちが警察であることをやめればいい。

 新世界の住人として、その深淵に潜り込むための「仮面」を、今こそ準備すべき時だった。

 

 

竹内の執着、レイナの悲鳴

 浪速署に戻った工藤と立花は、押収された竹内の遺品を再度精査していた。そこには、新世界の陽気さとは対極にある、湿り気を帯びた執念がこびりついていた。

​「工藤さん、竹内のスマホの暗号化が一部解除されました」

 立花がタブレットの画面を差し出す。

「保存されていた動画の断片……。盗撮に近いアングルですが、レイナと思われる人物を執拗に追いかけ、罵声を浴びせているものがあります」

​ 画面の中で、震える肩を抱き、顔を隠して逃げるように歩く人物が映し出されていた。背が高く、その立ち居振る舞いには隠しきれない気品があるが、竹内の下卑た笑い声が浴びせられるたび、その背中は小さく丸まっていく。

​『おい、覚。お前の過去は消せないんだよ。有松の件、みんなにバラされたくなければ……分かってるな?』

​ スピーカーから漏れる竹内の声は、粘りつくような嫌悪感を伴っていた。

「……これは、ただの強請りやない。魂の尊厳を削り取ろうとしとる」

 工藤は画面を凝視したまま、低く呟いた。

​ 竹内はレイナの「女性として生きたい」という切実な願いを逆手に取り、彼女を人間ではなく、ただの便利な道具――「性の奴隷」として支配しようとしていたのだ。新世界という、誰もが素性を捨てて自分を再構築できる街で、彼はわざわざ過去を掘り返し、彼女を絶望の淵に追い詰めた。

​「302号室での争いは、おそらく最後の一線を越えようとした竹内に対し、レイナが死に物狂いで上げた『悲鳴』だったんでしょう」

 立花の言葉には、同じアスリート出身としての、極限状態にある人間への鋭い洞察が込められていた。

​「だが、法は結果しか見ん。事故であろうが何であろうが、竹内が死に、彼女が逃げた事実は変わらん」

 工藤は席を立ち、窓の外を眺めた。

 夕闇に沈む新世界の街並み。あのどこかに、あるいはすでにこの街を離れたどこかに、レイナは怯えながら身を潜めている。

​「立花。竹内が握っていた『有松の弱み』……。これの正体を突き止めん限り、レイナを本当の意味で助けることはできんし、この事件の真実も見えてこん」

​ 工藤の目には、かつて400mトラックのコーナーで、誰よりも先に内側を突こうとした時と同じ、鋭い光が宿っていた。

 犯人を捕まえるためではない。一人の人間を、死よりも深い闇から救い出すために。

 

 二人は、刑事としての職務を超えた、個人的な「覚悟」を共有し始めていた。

 

 

​聖域の綻び

 工藤は浪速署の取調室に、通天小町の建築図面を広げた。新築時の古い図面と、増改築を繰り返した後の現在の実測図。二つを重ね合わせると、そこには奇妙な「空白」が浮かび上がった。

​「立花、このアネックス(別館)とVIPエリアを繋ぐ連絡通路だが……図面上の寸法と、実際の歩幅が合わん」

​ 工藤は、昨日現場で歩いた時の記憶を呼び起こした。176cmの彼が、元400m走選手の正確なリズムで歩いた距離。VIPエリアの廊下から302号室へ至るまでの動線には、外部からは見えない「厚み」がある。

​「この壁の向こうに、おそらく従業員専用の、あるいは……特定の客だけが知る隠し通路があるはずだ。VIPルームから、フロントを通らずにアネックスへ、そしてそのまま裏口へ抜けられるルートがな」

​ 立花は図面を覗き込み、鋭い視線を走らせた。

「だから、早朝にレイナが立ち去る姿をカメラが捉えていなかったんですね。彼女はフロントを通ったのではなく、最初から『消えるための道』を知っていた……」

​ 通天小町は、ただのホテルではなかった。ここは、追い詰められた者が「自分を消す」ための装置だったのだ。レイナが竹内を突き飛ばし、絶命した彼を目の前にしてパニックに陥ったとしても、彼女がこの建物の構造を熟知していれば、新世界の闇に紛れるのは容易い。

​「従業員も、そのルートの存在を分かっているはずです。それでも言わないのは、それが彼らにとっての『商売道具』だからでしょう」

 立花の声には、アスリートが反則行為を指摘する時のような潔癖な響きがあった。

​「ああ。通報も、おそらく死体を見つけてからかなりの時間が経ってからや。その間に、レイナを安全な場所まで逃がした可能性がある」

​ 工藤は図面のVIPエリアを指で叩いた。

 竹内のような強欲な男が入り込み、レイナのような繊細な存在が救いを求めた場所。その均衡が崩れた時、建物そのものがレイナを守るために動いたのではないか。

​「立花、俺たちの敵は犯人だけやない。この街全体が、一つの意思を持って彼女を匿っとる。……正面から扉を叩いても、二度と開かんぞ」

​ 工藤の視線は、図面の端にある「302号室」の赤い丸に止まっていた。

 そこは終着点ではなく、さらなる迷宮への入り口に過ぎなかった。

 

 

​増田理容店の囁き

 捜査が行き詰まりを見せる中、工藤は再び「増田理容店」の暖簾をくぐった。店内にはシャンプーの爽やかな香りと、ラジオから流れる古い歌謡曲が漂っている。

​「増田さん、顔、当たってくれ」

 工藤は重い腰を椅子に預けた。立花は店の外で、行き交う人々をそれとなく観察している。

​ 増田は何も聞かず、手際よく熱いタオルを工藤の顔に載せた。視界が白く塞がれ、熱が皮膚に浸透していく。その暗闇の中で、増田の低い声が耳元に届いた。

​「……工藤さん。通天小町の件、難儀しとるみたいやな」

「ああ。壁が厚いわ」

「あそこの従業員は、口にチャックどころか溶接しとるからな。……でもな、あの綺麗なレイナちゃん。あの子、時々うちの鏡を見て溜息ついとったよ」

​ 増田の剃刀が、工藤の顎のラインを滑らかに滑る。

「彼女、新世界だけにおったんとちゃう。難波の『小悪魔』……あそこのママには、えらい恩義を感じとるみたいやったわ。何かあればあそこに駆け込む、言うてな」

​ 工藤の瞼の裏で、点と点が繋がった。竹内の手帳に記されていた「次は、難波の小悪魔か」という言葉。竹内はレイナが最後に逃げ込む「港」をすでに見抜いていたのだ。

​「小悪魔……女装ルームか」

「せや。あそこは新世界よりさらに閉鎖的や。中に入るんは、警察の看板持ってたら一生無理やろな」

​ 増田は剃刀を置き、仕上げのローションを工藤の頬に叩き込んだ。

「レイナちゃんはな、工藤さん。悪い子やない。ただ、あの竹内いう男に、魂まで土足で踏み荒らされとっただけや。……助けてやってほしい、とは言わん。けど、ほんまの姿を見てやってほしいわ」

​ 理容店を出た工藤は、待っていた立花に短く告げた。

「難波や。**『小悪魔』**という店に、彼女の足跡がある」

​ だが、同時に工藤は理解していた。そこは増田が言う通り、刑事として踏み込めば、一瞬でレイナという影はさらに遠くへ逃げてしまうだろう。

​「立花、決めたぞ」

 工藤は、通天閣の影が長く伸びる路地を見つめた。

「潜入や。俺が『客』として、あの世界に入る」

​ 立花が息を呑む。それは、浪速署のベテラン刑事が、積み上げてきた矜持を一旦捨て去ることを意味していた。

 

 

​逃亡者の影、新大阪へ

 

​ 「工藤さん、新大阪駅の周辺カメラに、それらしき人物が映っていました」

​ 浪速署の執務室で、立花が端末の画面を指し示した。時刻は事件発覚当日の午前。通天小町を正面からではなく、裏路地から抜けたと思われる人影が、タクシーを乗り継いで新幹線口へと向かっている。

​ 画質は粗いが、その長身で凛とした後ろ姿には見覚えがある。彼女は、新世界という「聖域」が自分を守りきれないことを悟り、より広大な、あるいはより縁の深い場所へと飛び立ったのだ。

​「名古屋方面への『のぞみ』に乗った形跡があります。……やはり、有松ですか」

 立花の問いに、工藤は深く頷いた。

「竹内が彼女を縛り付けようとした因縁の地や。逃げ場所というより、すべての決着をつけに行ったのかもしれん。だがな、立花。今のまま名古屋へ追っ手を回しても、あいつはまた逃げるぞ」

​ レイナは、警察の動きを敏感に察知している。それは彼女が犯罪者だからではなく、一生をかけて隠し通そうとした「自分」を暴こうとする存在への、本能的な防衛反応だった。

​「だからこそ、潜入ですね」

 立花は覚悟を決めた顔で言った。

「工藤さんが『客』として潜るなら、私はその連れとして同行します。……でも、新世界の連中を欺けるような準備が、今の私たちにできるでしょうか」

​「俺たちだけで考えても限界がある。まずは、レイナがかつて身を寄せていた場所へ行って、その『空気』を身体に染み込ませるんや」

​ 二人は、増田から聞いた難波の「小悪魔」へと向かう前に、新世界の喧騒から少し離れた「メガドンキ」へと足を向けた。そこは、ありとあらゆる人種の、ありとあらゆる欲望が陳列されている場所だ。

​ 雑多なフロアを歩きながら、工藤は女性用のウィッグや、派手な原色のドレス、そして、並外れて高いヒールの靴をじっと見つめた。

 元400m走選手の筋肉質な体躯。176cmの身長。これを消し去るのではなく、あえて異形の「華」として際立たせる。

​「立花、これや」

 工藤が指差したのは、14cmのピンヒールだった。

「これに足を突っ込んだ時、俺は工藤やなくなる。……『クミ』という、新しい自分を産み出すんや」

​ 新世界を覆う沈黙の壁をぶち破るには、こちらも一線を越えるしかない。

 逃亡者レイナの孤独に触れるための、長く険しい変装劇が、ここから始まろうとしていた。

 

※この物語はフィクションです。

※95%AIで書かれています。

 

 

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