ユリブロ

女装子ゆりのブログ

 

 

小説『通天小町殺人事件』⑥

 

 

有松の境界線、プレハブの聖域

 名鉄有松駅に降り立った頃には、夜の静寂が町を完全に支配していた。

​ 国道1号線の喧騒から一歩入れば、そこには江戸時代から続く「有松絞り」の伝統が息づく、白壁の町屋が並んでいる。街灯に照らされた土蔵の白が、闇の中で浮き上がるように美しい。だが、その静けさが、クミにとっては逆に居心地が悪かった。14cmヒールが石畳を叩く音が、まるでこの町の平穏を切り裂く警笛のように響くからだ。

​「……綺麗な町ですね。でも、どこか息が詰まる」

 立花が周囲を警戒しながら呟く。

「伝統を守るいうんは、変化を拒むいうことやからな。レイナ……覚にとっては、ここは自分の色を出すことを許されん、真っ白な牢獄やったんやろ」

​ 二人は、佐藤から聞いた「クエスト有松」を目指した。

 そこは、観光客が足を止める白壁の景観地区からわずかに外れた場所にあった。歴史の重厚さを拒絶するように佇む、無機質なプレハブ小屋。薄暗い看板の下、自動ドアではない古い引き戸が、世間から隠れるように口を開けている。

​ ガラリ、と音を立てて中に入ると、安っぽい芳香剤とタバコの脂が染み付いた、男たちの孤独を煮詰めたような匂いが鼻を突いた。受付には、退屈そうにスポーツ新聞を捲る中年男性の店員が座っている。

​ 190cm近い巨体の女装子とドレス姿の美女という異様な二人組に、店員は一瞬目を丸くしたが、すぐに「ここは有松の裏側だ」と言わんばかりの、無関心な表情に戻った。

​「10番ブース。……まだ空いとるな?」

 クミが低い声で尋ねると、店員は黙って鍵をカウンターに置いた。

​ ここは、地元で「女装子さんが集まる場所」として知る人ぞ知るビデオボックス。立派な蔵の中では決して許されない「桃色」の夢を、男たちはこの個室で、密かに身に纏うのだ。

​ 二人は、一番突き当たりにある「10番ブース」へ向かった。扉の鍵はすでに壊されており、不穏な隙間が空いている。クミが中へ踏み込むと、そこにはレイナが持ち込んだのか、あるいは店の趣向か、わずかに有松絞りの布が飾り付けられていた。

​ 懐中電灯の光が狭い個室を這う。

「……見てください、これ」

 立花が指差した先。藍色の布の隙間に、一点だけ、あの通天小町を象徴する「桃色」に染められた布が隠されていた。

​「レイナや。あいつ、確かにここにおった」

 クミがその布を手に取った。その時、プレハブの薄い床板が、背後の通路で乾いた音を立てた。

​ ギィ……。

​ 誰かがいる。クミはヒールの音を殺し、巨体を沈めて闇に視線を向けた。現れたのは、黒いレザージャケットを羽織り、手にナイフを弄ぶ男。死んだ竹内と同じ「不快な空気」を纏った、掃除屋の影だった。

 

 

プレハブの衝撃、元ハードル選手の跳躍

 「証拠(ネタ)は、俺たちがいただく……」

​ 男の言葉が終わるか終わらないかのうちに、銀色の刃が狭い通路の闇を裂いた。

​ クミは14cmヒールの不利を承知で、190cm近い巨体を前に突き出した。この建物の圧迫感は、並の男ならすれ違うのもやっとの幅だ。だが、その狭さこそが今のクミには武器になる。

​「立花、下がれ!」

​ クミの太い腕が、男のナイフを持つ手首を強引に掴む。ベニヤ板の壁に男の体が叩きつけられ、ドン!という鈍い音が店内に響き渡った。受付の店員が驚いて腰を浮かせる気配がしたが、この修羅場に割って入る勇気はないだろう。

​「……ッ、この力、女じゃねえな!」

「悪いな、心は乙女やけど、腕っぷしは浪速のゴリラ並みなんや!」

​ 男も力で勝るクミの隙を突き、空いた左手でクミの顔を狙って拳を放つ。重心の高さが仇となり、クミの身体がわずかに泳いだその時、背後から鋭い風が吹いた。

​「クミさん、伏せて!」

​ ドレス姿の立花が、狭い通路を疾走し、まるでハードルを越えるような軽やかな跳躍を見せた。彼女は壁際に積まれた、客が使うための座布団を一歩、二歩とリズミカルに踏み台にする。

​ 元110mハードル選手としての体幹の強さと、爆発的な脚力。立花の身体は狭い空間を三次元的に移動し、男の側頭部へ向かって鋭いハイキックを叩き込んだ。

​ ドゴォッ!

​ 衝撃でプレハブ全体がガタガタと震え、男は個室の薄い扉を突き破って、10番ブースの中へと転がり込んだ。

​「……やるやないか、立花。ドレスが台無しやで」

 クミは乱れたブロンドのウィッグを乱暴に直し、荒い息を整える。

​「身体を動かしてないと、死んじゃいそうになるんですよ、私は。……それより、早く中を!」

​ 立花は破れたストッキングを気にすることもなく、気絶した男から偽造された身分証と小型の無線機を回収した。

​「こいつ、警察が手を汚したくない時に使う『掃除屋』や。立花、長居は無用や。レイナが残したあの布の裏をもう一度よく見てみ」

​ 立花が急いで「桃色」の布をめくると、絞り染めの技法を応用して、布の重なりの中に巧妙に隠された小さな「SDカード」が現れた。

​「これですね。竹内が命をかけて守り、レイナがここに隠した真実……」

「ああ。そいつを握って、ここを脱出するぞ」

​ その時、外から複数の車の急ブレーキ音がした。パトカーではない、黒塗りのセダンが建物を包囲しようとしていた。

 

 

​白壁の逃走、名鉄の闇

 有松の町を、複数の黒い影が蹂躙し始めていた。サイレンは鳴らない。それは「公的な捜査」ではなく、不都合な真実を闇に葬ろうとする「組織の掃除」であることを物語っていた。

​「クミさん、裏道へ! 1号線はすでに固められています!」

 立花の鋭い制止に、クミは14cmヒールの先を石畳に食い込ませ、不自然な角度で身体を捻った。190cm近い巨躯は、白壁の町並みでは隠れようもない目印だが、逆にその異様さが、夜の静寂の中で追っ手たちの視覚的な距離感を狂わせる。

​ 二人は、古い絞り染めの工房の間を縫うように走り抜けた。

「……クッ、このヒールで全力疾走は、400m走るよりキツいわ!」

 クミは毒づきながらも、元アスリートの執念でピッチを落とさない。足首には激痛が走るが、SDカードを握りしめた手は緩めなかった。

​ 名鉄有松駅のホームへ駆け込むと、ちょうど神宮前行きの普通列車が滑り込んできた。

 扉が閉まる直前、ホームに降り立った数人の男たちが、憤怒の表情でクミを指差すのが見えた。

​「……巻きましたね」

 立花が車内のロングシートに深く身を沈めた。彼女の首元には、冷や汗が滲んでいる。

「いや、まだや。あいつら、俺たちの顔は完全に覚えとる。名古屋市内に戻ったとしても、普通のホテルには泊まれんぞ」

​ クミは窓の外、暗闇の中を流れる名古屋の夜景を見つめた。

 竹内が死に、レイナが逃げ、そして自分たちが「証拠」を手に入れた。このSDカードの中身が白日の下に晒されれば、愛知県警の、ひいては警察組織の屋台骨が揺らぐ。

​「立花。ここからは『刑事』の顔をさらに消すぞ。次は、追っ手が絶対に想像もせん場所へ潜る」

「……想像もつかない場所、ですか?」

​「名古屋の奥座敷、あるいは……。とにかく、奴らは俺たちの『女装姿』を追いかけるはずや。ならば、さらにその裏を行く」

​ 列車が鳴海、堀田と過ぎていく。名古屋の心臓部へ近づくにつれ、クミの目には、かつての新世界での日常とは違う、冷徹な「狩人の光」が戻っていた。

​「明日の朝、名古屋を離れる。次の目的地は……瀬戸内や。レイナは、自分を捨てたこの街に長くは留まらん。あいつが次に求めた『港』は、もっと穏やかで、もっと孤独な場所のはずや」

​ 二人は金山駅で下車し、ネオンの海へと消えていった。

 手にしたSDカードには、有松の白を黒く染め上げた、5年前の汚職の全貌が記録されていた。

 

 

​金山の隠れ家、名古屋の朝

 金山総合駅の雑踏は、深夜になっても絶えることがない。

 クミと立花は、あえて豪華なホテルを避け、駅近くの古びた雑居ビルに入る「24時間営業のサウナ付きカプセルホテル」を選んだ。ここは、終電を逃したサラリーマンや、行き場のない夜の住人たちが、互いの素性に無関心でいられる場所だ。

​「……クミさん、ここで少し休みましょう。ここは男女別フロアが徹底されていますし、入り口も別々です」

 立花が小声で提案する。

「ああ。だが油断はすなよ。奴らは俺たちの『姿』を追っとる。脱皮(だっぴ)の準備や」

​ クミは、受付の怪訝な視線を無視し、14cmヒールを脱ぎ捨ててスリッパに履き替えた。足首の痛みと解放感が同時に押し寄せる。カプセルという狭い繭(まゆ)の中で、クミは手に入れたSDカードを防水の小さな袋に入れ、肌身離さず身につけた。

​ 深夜のサウナ。立ち上る湯気の中で、工藤は厚塗りのファンデーションを洗い流した。

 鏡に映るのは、不気味な女装姿の「クミ」ではなく、疲弊しながらも眼光を失わない、浪速署の刑事・工藤の顔だった。だが、眉毛は細く整えられ、爪にはまだ微かにラメが残っている。

​「……レイナ。お前は、この証拠のために人生を差し出したんか」

 湯船に浸かりながら、工藤は呟いた。有松の白壁、ステラの紫の煙、そして新世界のバッテラの味。バラバラだったピースが、一つの「孤独」という線で繋がり始めている。

​ 翌朝、午前7時。

 二人は名古屋港へと向かった。昨夜の派手な衣装を捨て、工藤は「メガドンキ」で急遽買い揃えた、どこにでもいる「少しガタイの良い作業員」風の私服に。立花もまた、美しさを隠すような地味な眼鏡とパーカー姿に着替えていた。

​ 名古屋港フェリーターミナル。

 二人の目の前には、伊勢湾を越え、瀬戸内へと向かう巨大な船が停泊していた。

​「陸路(新幹線)は封鎖されとるはずや。だが、海の上までは県警の『犬』も鼻が利かんやろ」

 工藤は、昨日までの「クミ」としての自分を一旦心の中に仕舞い込み、一般客に混じって乗船名簿を記入した。

​ 船がゆっくりと岸壁を離れる。

 遠ざかる名古屋のコンビナートの煙を見つめながら、工藤の懐のSDカードが、微かな重みを持って主張していた。

​「行くぞ、立花。次は松山や。レイナが最後に求めた、四国の安息。そこが、あいつの『終着駅』か、それとも……」

 

※この物語はフィクションです。

※95%AIで書かれています。

 

 

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