ユリブロ

女装子ゆりのブログ

 

 

小説『通天小町殺人事件』⑦

 

瀬戸内の凪、フェリーの邂逅

 名古屋港から四国へと向かうフェリー「いしかわ」の甲板に、工藤は立っていた。

 作業員風のジャンパーに身を包んだ工藤の横顔は、夜通しの逃走劇で鋭く削げ、不精髭が男の荒んだ色気を醸し出している。

​ 背後から、地味なパーカー姿の立花が温かい缶コーヒーを差し出した。

「……工藤さん。SDカード、大丈夫ですね」

「ああ。肌身離さず持っとる。中身は愛知県警の喉元に突き刺さった『有松絞り』の針や。そら必死で追いかけてくるわな」

​ 工藤はコーヒーを一口啜り、穏やかな瀬戸内海の海面を見つめた。

 海を渡れば、そこは愛媛県・松山。レイナが大阪を離れた後に身を寄せたという「シネマローズ」や「星乃温泉」がある街だ。

​「立花。俺たちは名古屋で『覚』の過去を拾った。だが、松山は違う。ここはレイナが、一人の『女』としての安息を求めて彷徨った場所や」

「安息……。でも、竹内が追いかけてきたんですよね」

「そうや。竹内はレイナの平穏を一つずつ、有松の絞り染めを解くみたいに破壊していった。あいつが大阪に戻って竹内を突き飛ばしたんは、正当防衛やない……自分の『居場所』を奪われ続けた末の、魂の悲鳴やったんや」

​ その時、甲板の隅、影の中から一人の人物が歩み寄ってきた。

 白髪混じりの短髪に、使い古されたトレンチコート。一般の乗客とは明らかに違う「同業」の匂い。工藤の背筋に、冬の潮風とは違う冷たい戦慄が走った。

​「……いい月夜ですね、工藤さん。いや、クミさんと言うべきかな」

 男は工藤の隣に並び、手すりに手を置いた。

​「……誰や」

「松山東署の隠居ですよ。名前は……そう、古畑とでも呼んでください。レイナを追っているのは、大阪の刑事さんたちだけじゃない。私たちは彼女を『守る』ために動いている。……信じられないでしょうがね」

​ 男の瞳には、名古屋で遭遇した刺客たちの凶暴な光はなく、どこか新世界の住人たちにも似た「静かな連帯」の気配があった。

​「有松のSDカードを狙っているのは、警察という組織だけじゃない。彼女が松山で何をしようとしていたか……それを知れば、あんたたちの捜査も変わるはずだ。船が着いたら、まずは**『星乃温泉』**へ行きなさい。彼女の孤独な涙が、あそこの湯船に残っている」

​ 男はそれだけ言うと、闇に溶けるように船内へと消えていった。

 松山。そこは単なる逃亡先ではなく、権力と孤独が激突する「新たな戦場」になろうとしていた。

 

 

松山上陸、シネマローズの残響

 松山観光港に降り立つと、鼻先をかすめる風には潮の香りと、どこか甘い蜜柑の匂いが混じっていた。

​ 工藤と立花は、名古屋での死線を潜り抜け、フェリーの甲板で出会った謎の老刑事・古畑の言葉を反芻していた。「松山へ行け。あの子の影がそこにある」という予言めいた言葉に従い、伊予鉄の路面電車に揺られて市内へと向かう。

​ 松山市一番町。四国最大の歓楽街、そのネオンが途切れる路地裏に、その場所はあった。

​ 「シネマローズ」。

​ 入り口には、色褪せた成人映画のポスターが所狭しと貼られ、昭和の銀幕のようなノスタルジックな雰囲気を醸し出している。そこは、時代に取り残されたような小さな成人映画館だった。

​ 工藤は再び、カバンの中に忍ばせていた「クミ」へと変貌を遂げていた。

 190cm近い巨躯が、建物の狭い階段をきしませる。14cmヒールが松山の夜の石畳を刻む音は、どこか逃亡者を守り抜こうとする騎士(ナイト)のような悲哀を纏っていた。

​ 重い扉を押し開けると、場内には特有の湿り気を帯びた空気と、古いフィルムが焼けるような匂いが漂っていた。ロビーには無造作に椅子とテーブルが置かれ、その奥の壁には、ただ「10」から「14」までの番号が振られた、簡素な5つの扉が並んでいる。

​ クミは受付の小窓へ歩み寄り、中にいる初老の男に声をかけた。

「……レイナ。あの子、ここにおったやろ」

​ 店主は視線さえ上げず、無言で鑑賞券の束を指先で弾き続けている。その指の動きは、まるで外界の音を一切遮断しているかのように規則的で、沈黙そのものが重い壁のようにクミを撥ね返した。

​ クミがさらに踏み込もうとしたとき、ロビーの隅のテーブルから、ライターの火が灯る音がした。

​「……あの子なら、よく『12番』の個室に入ってたよ」

​ 煙草の煙を吐き出しながら、パイプ椅子に深く腰掛けた男が言った。作業着に汚れたジャンパーを羽織った、この館の匂いに完全に溶け込んでいる常連客だ。男は190cmのクミを見上げても驚く風もなく、薄笑いを浮かべている。

​「自分の汚れた過去を全部、あの暗闇の向こう側に追いやってよ。スクリーンのヒロインになりたがってたのかねぇ」

​ 男はテーブルの上に置いたビニール袋から、無造作に**「じゃこ天」**を取り出すと、一切れを口に放り込み、もう一切れをクミの方へ無造作に突き出した。

​「食いな。松山名物だ。あの子も、ここに来る前はよくこれを齧ってたぜ」

​ クミは黙ってそれを受け取った。素朴で力強い魚の旨みが、空腹の胃に染みる。名古屋の「ラーメン福」の山盛りのもやしが「執着」の味だとしたら、この松山のじゃこ天は「諦念」の味がした。

​「……あの子について、もっと教えてくれ」

 クミが促すと、常連の男は煙草を灰皿に押し付けた。

 

 

幻影のスクリーン、星乃への道標

 常連の男は、じゃこ天の袋を無造作にテーブルに置くと、遠くを見るような目で話を続けた。

​「あの子……レイナは、ここで短い間だけど『家族』を見つけてたんだよ。身寄りのない女装子たちが何人か集まってな。あの子はまるで長女みたいに振る舞って、このロビーでみんなの悩みを聞いてやったりしてたわ」

​ クミは、12番と書かれた個室の扉を見つめた。番号が振られただけの簡素な木の扉。その向こう側で、レイナはスクリーンの光に照らされながら、かりそめの安らぎを噛み締めていたのだろう。

​「でも、あの男……竹内が現れてから、その夢はぶち壊されたんだ」

​ 常連の男の声に、苦い怒りが混じる。

 竹内は松山にまで執拗に現れ、レイナがようやく築き上げた人間関係を、「有松の過去」という毒を使って一つずつ壊していったという。警察という権力を傘に着て、彼女の周囲の人間に「あいつは殺人犯の仲間だ」と触れ回ったのだ。

​「レイナちゃんはね、仲間に迷惑をかけたくなくて、一人でここを出た。最後に俺に言ったよ……『私には、お湯の中にしか本当の居場所がないのかもしれない』ってな」

​「お湯の中……」

 クミは、フェリーで古畑に教えられた「星乃温泉」の名を思い出した。

​「ああ、あの子はね、毎日あそこに通ってた。あそこの湯船に浸かって、自分の中に溜まった『覚』としての垢を、必死に洗い流そうとしていたのかもな。……あんた、あの子の友達なら行ってやりな。今頃、あそこの古い脱衣所かどこかで、途方に暮れてるかもしれねえ」

​ クミは最後の一切れのじゃこ天を口に放り込んだ。素朴な魚の旨みと、ジャリッとした骨の感触。それは、どんなに自分を偽ろうとしても消えない、生身の人間としての確かな手応えだった。

​「……おおきにな、おっちゃん」

 クミが短く礼を言うと、常連の男はフンと鼻を鳴らして、再び次の煙草に火をつけた。受付の主人は、相変わらず一言も発することなく、影のように小窓の奥に鎮座している。

​「立花、行くぞ。次は星乃温泉や。レイナの涙が溶けとるいう湯船、拝みに行こうやないか」

​ 二人はシネマローズを後にし、夜の一番町を駆け抜けた。SDカードの真実を抱えたまま、レイナの残り香が漂う温泉郷へと、14cmヒールの音が夜の静寂を切り裂いていく。

 

 

​道後の湯煙、星乃温泉の密談

 

​ 「シネマローズ」を後にした二人は、路面電車で道後方面へと向かった。

 観光客で賑わう本館の喧騒を避け、少し歩いた住宅街の端に、地元の人々に愛される「星乃温泉」がある。ここは派手な装飾はないが、とろりとした良質な湯が自慢の、まさに「知る人ぞ知る」安息の地だ。

​ 深夜に近い時間帯。クミは入り口で立花と別れ、一人で暖簾をくぐった。

 190cm近い女装姿のままでは、さすがに公衆浴場のルールを壊す。工藤は脱衣所で手早く「クミ」を脱ぎ捨て、再び一人の無骨な男に戻った。鏡に映る肌には、ヒールの靴擦れと、名古屋での格闘の痣が色濃く残っている。

​ 湯船に身を沈めると、熱い湯が全身の細胞を解き放つようだった。

「……ふぅっ」

 思わず漏れた溜息が、湯気の中に消えていく。

​ ふと見ると、少し離れた洗い場で、フェリーで出会った老刑事・古畑が独り、静かに身体を洗っていた。彼は工藤の存在に気づくと、軽く顎で隣の空き場所を指した。

​「……いい湯でしょう。レイナちゃんはいつも、この端の特等席で動かずにいたよ。まるで、石像にでもなったみたいにね」

 古畑は桶に湯を溜めながら、小声で切り出した。

​「古畑さん。あんた、なんであの子をそこまで気にかける。……松山東署の刑事なら、大阪で起きた殺人の重要参考人として確保するのが仕事やろ」

​「工藤さん。……彼女はね、ここで竹内を殺そうとしたんじゃない。竹内に奪われそうになった『誰か』を助けようとしていたんだ」

 古畑の言葉に、工藤の手が止まる。

​「竹内はね、この松山でも強請りを続けていた。ターゲットは、有松の汚職に関わっていた大物政治家の愛人だ。その女性は、今は身分を隠してこの松山で静かに暮らしている。レイナちゃんは、自分と同じように過去に縛られたその女性を守るために、竹内を説得しようとしていたんだよ」

​ 工藤は、湯船の縁を強く握りしめた。

 新世界で竹内を突き飛ばしたあの夜。それは単なる突発的なパニックではなく、松山で守りきれなかった「誰か」への想いと、執拗に追いかけてくる絶望を断ち切るための、最後の抵抗だったのではないか。

​「レイナは今、どこにおる」

​「……彼女はもう、ここにはいない。彼女が向かったのは、すべての匿名性が許される迷宮――東京だ。上野の『24会館』。そこがあの子の次の潜伏先だという情報を掴んでいる」

​ 工藤は湯船から立ち上がった。全身から滴る滴が、洗い場の床を叩く。

「……古畑さん。一つだけ教えてくれ。その政治家の愛人いうんは……」

​「……彼女もまた、有松の絞り染めのように、自分の色を消して生きている人ですよ。工藤さん。あんたが持っているSDカードは、彼女にとっても『地獄への招待状』かもしれない。慎重に扱いなさい」

​ 脱衣所に戻り、再び「クミ」としての仮面を被る。

 立花が外で待っていた。彼女の瞳には、松山の夜の静けさよりも深い、次なる旅への覚悟が宿っていた。

​「クミさん。……次は、東京ですね」

​「ああ。……その前に、最後に松山の味を食うていこう。『富久重』の焼肉や。ここの甘いタレで、口の中を松山の思い出で一杯にしてから、江戸に乗り込むぞ」

 

 

​焼肉『富久重』、甘いタレと苦い決意

 

​ 松山市内、路地裏に漂う香ばしい煙に誘われ、二人は「焼肉 富久重(ふくしげ)」の暖簾をくぐった。

 ここは観光客向けの洗練された店ではない。地元客がひしめき合い、鉄板の上で肉が踊る、活気と熱気に満ちた「松山の胃袋」だ。

​ 190cm近いクミの巨体は、低い天井の店内ではさらに圧迫感を放つ。だが、松山の住人たちは、そんなクミを「少し風変わりな旅人」として、驚くほど自然に受け入れていた。

​「……ここのタレ、独特ですね。すごく甘い」

 立花が、特製のタレにどっぷりと浸かったカルビを口に運び、驚いたように目を丸くした。

「それが松山の味や。瀬戸内の穏やかな海みたいに、尖ったところがなくて、どこまでも優しい」

 クミは無造作に白米を頬張り、肉を流し込んだ。甘辛いタレが口の中に広がり、これまで張り詰めていた神経が、ようやく少しだけ解けていく。

​ だが、立花の箸は、次第に止まっていった。

「……工藤さん。私たちは、レイナを捕まえるために追いかけてきたんですよね」

 網の上で脂が弾ける音を背に、彼女が小声で切り出した。

​「ああ。竹内殺しの重要参考人として、身柄を確保するのが筋や」

「でも……古畑さんの話が本当なら、彼女は誰かを守ろうとしていた。竹内という『毒』から、自分と同じように過去に縛られた人を救おうとしていた。そんな彼女に、私は……警察官として手錠をかけられるでしょうか」

​ 立花の口元には、旅の疲れと葛藤から、また微かな違和感が生じ始めていた。元ハードル選手として、常に「越えるべき障害」を真っ直ぐに見つめてきた彼女にとって、この事件の「正義の在り処」はあまりに不透明だった。

​「立花。刑事の仕事は、白黒つけることだけやない。……その『間』にある真実を、誰よりも近くで見届けることや」

 クミは網の上の最後の一枚を、立花の皿に置いた。

「あいつが何をしたか、何をしようとしとるか。それを全部見極めてから、お前のその『正義』で答えを出せばええ」

​ 店の外に出ると、松山の夜風はさらに冷たさを増していた。

 二人は夜行バスの停留所へと向かう。次は、すべてを飲み込むコンクリートの迷宮、東京だ。

​「……クミさん。私、決めました」

 バスに乗り込む直前、立花が前を見据えて言った。

「レイナがもし、東京で本当に『決着』をつけようとしているなら、私は全力で彼女を追い越してみせます。元ハードル選手の脚は、捕まえるためだけにあるんじゃない。悲劇を未然に防ぐために、誰よりも早く現場に駆けつけるためにあるんです」

​「……ええ顔になったな、立花」

 クミは14cmヒールの予備が入った重いカバンを肩にかけ、東京行きのバスのステップを上がった。

​ 瀬戸内の安息はここまでだ。

 次に待っているのは、眠らない街・上野。巨大な暗闇が広がる「24会館」。

 そこで、レイナの逃亡劇は、血と硝煙の匂いがする最終章へと突入する。

 

※この物語はフィクションです。

※95%AIで書かれています。

 

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