
皆さま当ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。
運営者の女装子ユリです。
久しぶりに哲学的なことを語ってまいりたいと思います。
皆様いきなりですが、『ええねん』という歌をご存知でしょうか?
『ええねん』とは関西が生んだ大人気ロックバンド・ウルフルズの名曲です。
この歌の歌詞を自分の心の支えにしている方も沢山おられることだと思います。
タレントのアン・ミカさんもテレビでこの歌のことを自分の背中を押してくれるパワーソングだと仰っておられました。
私も大好きな歌です。
なにも言わんでも ええねん
なにもせんでも ええねん
笑い飛ばせば ええねん
好きにするのが ええねん
感じるだけで ええねん
気持ちよければ ええねん
それでええねん それでええねん
後悔しても ええねん
また始めたら ええねん
失敗しても ええねん
もう一回やったら ええねん
前を向いたら ええねん
胸を張ったら ええねん
それでええねん それでええねん
ウルフルズ『ええねん』の歌詞の一部を抜粋
特に歌の中で繰り返される『それでええねん』という言葉が全てを肯定してくれているかのようで私は好きです。
凄く前向きな歌詞が綴られていて、『失敗してもええねん、もう一回やったらええねん』という歌詞に象徴されるように、悩んだり悔やんでいる人達に向けてのパワーのあるメッセージSONGとなっています。
しかし、捻くれ者の私は『前を向いたらええねん』と背中を押される反面、なかなか素直に受け止められない自分もいます。
いつしか心をシャットアウトして人を信じられなくなってしまった自分にはストレートな励ましの言葉や愛情表現が心に突き刺さらなくなってしまいました。
もちろん!励ましてくれるのは凄くありがたいことなのですが、どこか自分の中の蟠りや割り切れない思いを引きずったまま『ええねん』と自分に無理やり言い聞かせている感があって、実際にはなかなか飲み込むことが難しいのです。
汚れの無かった青春時代には私の心にもこの歌の力も及ぶのかもしれませんが、幾つになっても惨めな思いばかりしてきた私のような人間にとっては「綺麗事」としてストレートに響かないのです。
いつしか私は『ええねん』の前に『もう』を付け加えて、『もうええねん』とするようになって、『ええねん』とは全く違う心の面持ちに至るようになりました。
例えば、実際の『ええねん』の歌詞を『もうええねん』に変えて書き換えて、どんな風に聞こえるのか少しやってみましょう。
なにも言う言わんも もうええねん
何せんでも何かするでも もうええねん
笑い飛ばすも飛ばさんも もうええねん
好きにするのも もうええねん
感じるのも もうええねん
気持ちいいのも もうええねん
もうええねん そういうのはもうええねん
後悔してもしなくても もうええねん
また始めたとて もうええねん
失敗してもしなくても もうええねん
もう一回やるけど もうええねん
前を向いても向かんでも もうええねん
胸を張っても張らんでも もうええねん
もうええねん そういうのはもうええねん
というのが歳を重ねて今感じる私の率直な心境です。
少し周りからすれば残念な人〜ってなるかもしれませんが💦
『ええねん』という言葉だけでは振りほどくことが困難な状況も、『もうええねん』と割り切ってしまえば振りほどくことが出来る気がしてくるのです。
『ええねん』とは過去の出来事を全て肯定しようとする態度と、現在の自分を奮い起こす為の言葉であり、また未来に向けてこれまでと変わらず希望を持って突き進もうとする様を指しています。
これは至極前向きな言葉のようですが、それは何処か不安定で儚さと危うさが内在しています。
対して『もうええねん』とは、諦めにも似た言葉です。
でも過去の自分と今の自分、そしてこれから先の自分に対して、そこには願望など入る余地のない嘘偽りのないケジメがなされていると感じられます。
ケジメをつける、それはある意味自分に最も厳しい態度をしてそれを受け入れるということ。
『もうええねん』という言葉によって、過去の厳しい現実を受け入れ、未来に向けてもしっかりと割り切った態度をすることの方が実は重要なのではないかと私は考えるようになりました。
それは歳を取って長年積もり積もった悩みや後悔からもう解き放たれて自由になりたいという心境の表れなのかもしれません。
つまり私は「断捨離」をしてこれまでの執着を全て捨て去ろうというのです。
彼氏に振られた、仲間外れにされた
仕事で失敗した、人間関係で失敗した
人を傷つけた、人から傷つけられた
人に嘘をつかれた、人に嘘をついた
人から貶められた、人を貶めてしまった
こんな風になりたい、人から尊敬されたい
見下されたくない、人を見返したい
子に愛されなかった、子を愛せなかった
結婚できなかった、夢に敗れた、
人生は後悔ばかりです。。。。
様々な挫折と厳しい現実を本当の意味で受け入れて前に進む為には、何処かで『もうええ』と開き直るしかないのかなと思います。
上方漫才の終わり方も最後は『もうええわ』で終わりますよね。
この言葉がなければ終われないというほど『もうええわ』は漫才にとって大事な言葉で、何があっても最後を締めくくってくれる言葉です。

色々とやったけど「もう一旦この辺にしときましょう」と物事に一応の一区切りをつけるのですね。
私達は気がつけば完璧を常に求めがちになっていて、余計な物をたくさん背負って生きています。時に失敗した人を完膚なきまでに叩いて押しつぶしてしまうのが最近の世の中です。
何処かで誰かが「この辺にしとこう」と現実の妥協点を示して社会の平穏を維持しながら前に進んでいくことも大事なような気がします。
自分の主張を貫いて突き進むものを革命家と呼び、それら争いの中で妥協点を見いだして世の中を平和至らしめる者を政治家と呼びます。
何かを変えたいという強い情念が渦巻いていて、SNSでは一人一人が革命家となって自分の主張をし、それらを取り持って調整する政治家という役割でさえも何かのプロパガンダに奔走しています。
私達の住む世界は自由であるがゆえに、その自由が仇となっているのかもしれませんね。
自分に求めることも他人から求められることも、他人に求めることも「ももええ」と少しセーブして心に余裕を持ちたいものです。
もうええねん、、、と静かに呟いて、
明日からまた新たな人生を歩んで行ってはいかがでしょうか。
おわり
