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ユリのちょっとしつこい道徳〜「男女格差は何も変わっていない説」〜男と女は柳川鍋の如し

皆様いつもご覧くださいまして誠にありがとうございます。

ユリブロを運営しております、女装子のゆりです。

 

今日は「男女格差は何も変わっていない説」というテーマに沿って論じていきたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

 

まず結論的に私が言いたいことを先に申し述べますと、こういうことです。

 

現代社会が男女格差是正の方向へ進んでいるのではなく、女性が男性化しているだけである。

 

まさにこういうことでございます。

確かに女性の社会進出というのは昨今進んでいるとは思います。また、社会も率先してそれを進めているともいえる状況です。

様々な分野で女性の活躍は増えてまいりまして、これまで男性しかいなかった職場でも女性をお見かけすることが増えてきました。

これには仕事と育児を両立するための社会的な基盤が整備されてきたからだとも言われています。

数年前には「保育園落ちた日本死ね」という言葉がフューチャーされましたが、そういう主婦の方の心の叫びもあって少しずつ環境が整備されてきているのだと思います。

女性の管理職の方だったり、社長さんだったり、トラック運転手やバスやタクシーの運転手、また消防隊員、最近では女性の警察署長が誕生したりと女性の活躍は目覚ましいものです。

 

 

しかし、それとこれとは別な話ではないかと私は考えています。

表面上は男女格差が縮まっているようにみえていても、これは単に女性の男性化が進んでいるだけであって、実は社会は本質的に男女格差は縮まっていないのではないかと思うのです。

1つは労働の対価という側面です。

これまでお給料を沢山支払われている職業に女性も進出してきたというのは望ましいことですが、それは元々労働の対価として男性側に存在していたものに女性が加わっただけという話です。

それに引き換え家事や育児、こうした労働の価値は上がっていません。

掃除や洗濯、ご飯の支度、子供の面倒、これらの労働の対価は上がっていないに等しいと考えています。

本来女性的な役割の仕事の価値が上がっていないのです。

2024年にこども家庭庁が保育士等の給料を約10%賃上げする発表しましたが、それでもたかが10%かと私は思います。

男女格差の価値感はあまり変わっていないのです。

ただ単に女性が男性の職場に入っているだけなのであります。

もし価値感が変わっているならば、保育士さん達は高給取りと言われる分野である医師や弁護士、大学教授やIT企業の社員、コンサルティグ業や士業などと同列くらいに扱われるべきです。

子どもを育てることほど重要なのことはないじゃありませんか?

「三つ子の魂百まで」と言いますが、子育てこそが最も人間の人生にとって大きく影響を及ぼすことであり、価値あることです。

大学教授の講義などは人生に与える影響はそれ程あると言えません。

何の為になっているのか不明確である大学教授の講義よりも、保育士の給料が低いのは日本の社会が未だに権威主義であり男性的な事柄が優位である証だと思います。

掃除や洗濯や食事の用意や躾ほど在り来りだけど重要で大変なことなんてありませんよ。

掃除のお仕事なんて世の中の底辺中の底辺の給料です。

これらの仕事があるから私達は衛生的に暮らせて健康を維持できているんです。

我々が気持ちよく施設を利用できるのは清掃員のおかげです。

なのに給料は安すぎる。

それは固定観念というものだと思います。

これらの労働対価が何一つ変わっていないのは、潜在的にこれまで歴史を積み重ねてきた男女の労働の価値感が根底から差別しているからだと私は考えます。

だから私は男女格差何も変わっていないと思うのです。

 

 

 

 

最近ニュースで芸能人が女性をモノのように扱った事実が週刊誌などで取り上げられて大バッシングを受けることが続いていますよね。

そもそも男性の意識は変わっていないし、社会が変わっていない証拠です。

だから時に芸能人が調子に乗って乱暴な女遊びをしてしまうのだと思います。

自分が偉くなったと勘違いをして社会の価値感に甘えているだけであって、本質的には町の清掃員よりも価値を生んでいないかもしれないのにもかかわらずに、金と地位で全てが許されると勘違いしてしまっているのだと思います。

 

私の意見としまして、家事、育児、介護、などに関わる分野の価値はもっと上げられるべきだと考えます。

具体的には清掃、飲食、保育、介護、看護、加えて風俗業などの分野の価値も高めるべきだと思います。

例えば、国が補助金を出して給料を上げることも1つです。

そうすれば社会の底辺層の暮らしが安定して、これまで何かとお金の力で振り回されて利用されてきた人達がお金に左右されなくなります。

例えば風俗嬢はお客を選べるようになり、トラブルが減る=迷惑な客が減るという具合にです。

どうでしょう?

極端すぎますかね(笑)

 

 

 

 

何故そう感じるかと申しますと、私自身が女装子という立場ということもあって内面が女性よりもある意味女性的であるからです。

その女性的な面から社会見渡してみると、自分自身の価値感が社会からはまだまだ受け入れられていない、又は評価されていないなと感じることが多くあります。

現代社会は未だにその基盤を支えている女性的な包容力や優しさよりも、争いに勝つための男性的狩猟精神のようなものを高く評価しています。

そのように社会で長く女性的内面の立場から働いてきた私に強く感じさせるのです。

 

私の大好きなアニメ「美味しんぼ」でこういうお話しがありました。

ボケとツッコミのお話しです。

ある人気漫才コンビがいましたが、ボケ担当のスベッ太が天狗になってツッコミ担当のコロン太にいつも文句を言っていました。

周りが見ていて嫌な気持ちになるくらいスベッ太がコロン太をなじるのです。

「俺がいるから成り立ってるんや、相方なんか誰でもいい。かかしを立たせておけばいい」

と大きなことを言ってコンビは喧嘩別れしてしまいます。

しかし、互いに1人になると全く人気がなくなってしまいました。

スベッ太の方は言動がキツすぎて視聴者から嫌煙され、コロン太の方も面白くないと客席から野次られ馬鹿にされる始末です。

そんな時に主人公の山岡さんが元気づけようとボケ担当のスベッ太を柳川鍋のお店へ食事に誘いました。

柳川鍋というのは、ドジョウとゴボウを煮て卵で閉じた料理のこと。

 

 

ドジョウの臭みをゴボウという何気ない地味な野菜が消してくれるから柳川鍋が美味しくなるんだと、山岡さんは柳川鍋を美味しそうに食べるスベッ太に説きました。

それでやっと気がついたスベッ太はコロン太とよりを戻し互い認めあってコンビを再開することができました。

 

このボケとツッコミに喩えた柳川鍋のお話は男女の関係に似ていると思います。

男がドジョウであれば、女はゴボウです。

互いが認めあって調和が生まれて良い社会になるのだと思います。

男の子供っぽい部分を女が受け止めてくれるから社会が成り立っています。

柳川鍋のように味を支えているゴボウである女性的役割にスポットがあてられるべきだと思います。

 

私はもう一度全て価値感を見直してみるべきだと思います。

その仕事本当にその給料でいいんですか?

そう私は言いたいと思います。

 

社会を支えてきた女性的な仕事や役割などが評価されるべきだと思います。

社会はもっと変わるべきです。

 

ご清聴ありがとうございました🙇

 

 

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